「官から民へ」が変えた日本
中曽根康弘は米大統領のロナルド・レーガンが進めた行政の民間企業開放政策に追従し、英首相だったマーガレット・サッチャーの提唱した原理的な市場競争を歓迎してきたといわれる。
小さな政府への転換を訴えるその規制改革は、小泉純一郎や安倍晋三に引き継がれ、あたかも日本社会が成長するために必要不可欠な政策であるかのように受け止められてきた。
2009年に自民党から政権を奪取した民主党も「官から民へ」というキャッチフレーズの下、行政の規制撤廃へと突き進んだ。その後、民間による市場競争原理主義ははやがて弱肉強食の色合いの濃い新自由主義政策として批判の対象になる反面、日本の為政者の多くは今も規制緩和が足りないと主張する。
三公社五現業の解体を進めた中曽根は、そんな現在の日本社会の原型をつくったといえる。国鉄や日本航空の改革しかり、日本電電公社や日本専売公社の民営化しかりだ。
一方、田中角榮は米英追従の市場開放政策にあらがおうとする。田中は日本最大の労働組合として聞こえた国鉄労働組合(国労)本部中央委員の細井宗一の戦友だった。二人はともに新潟県出身で生まれ年も同じである。
太平洋戦争当時、大日本帝国陸軍騎兵第3旅団第24連隊の士官候補生だった細井は、たまたま徴兵で入隊してきた田中と出会い、軍隊生活の面倒を見たといわれる。
その二人の道は終戦を迎えて分かれた。田中は自民党入りし、細井は国鉄に入社して国労を統率するようになる。高度経済成長を経て先進国の仲間入りを果たし、保革の対立した1955年政治体制にあってなお、二人の仲は変わらず続いた。
田中は労働組合問題で細井に相談し、細井は目白の田中邸にフリーパスで出入りしてきたという。自民党族議員の象徴のような田中が、今なおバランス感覚のある穏健保守のように評価されるのは、欧米一辺倒ではないアジア外交に重きをおいたからかもしれない。













