登場人物の名前の由来

赤坂 『夜の恩寵』の話に戻すと、「胡蝶」と「夢見る家族」に出てくる未千は、夢見という形の巫女といえますね。「夢見る家族」では、自分が夢を見るだけでなくて、自分の子供たちの夢を奪っている。僕はこれを読みながら、中世の説話集なんかにある、夢を買う話を思い出しました。
三浦 夢を買う話があるんですか。
赤坂 「夢買い長者」という昔話があります。男が居眠りしていると、アブが飛んできて鼻の穴に入っていく。その男は、どこかの家の木の下に財宝が埋まっている夢を見る。目覚めた後、男はただの夢だと思ってその内容をそばにいた人に話すんだけれど、その人は鼻からアブが入っていくのを見ていたので、その夢を俺に譲ってくれと言う。そうして夢を商品のように売買するんです。それから、夢を買った男がその場所に行って木の下を掘ってみると、本当に財宝があって長者になりました、という話です。
三浦 面白いですね。
赤坂 中世の人たちは、アブなどの虫を、夢を運ぶ生き物として考えていた。しかも夢を物質化して、お金で売買するものとしていたわけです。まあ、夢見というのが、ある種の商売や宗教的なシステムの中に組み込まれた例はいくらでもありますから。
三浦 夢占いみたいなものもありますしね。
赤坂 「胡蝶」のように、妊娠して出産して子育てして子供が成長していって、という、そこまで継続的な夢を見る話って、ほかにあるのかどうか……。
三浦 あれは私が見た夢なんですよ。出産まではいかなかったんですけれど、夢の中で妊娠して、つわりが大変だったんです(笑)。
赤坂 ああ、実体験でしたか。
三浦 そうそう。目が覚めた時、「あれ、私妊娠したんだっけな」って頭が混乱したんですよ。私は妊娠したことがないからリアルと言っていいか分からないけれど、それくらいつわりがリアルっぽかったんです。なんだか変な夢を見たなと思っていたんですけれど、この短編集を書き始めてから、そうだ、あの夢を使おう、って。
赤坂 夢というのがこの作品集の大切なテーマになっていますよね。喜久美も夢見ができるからね。
三浦 そうですね。それと、喜久美の名前は、この世ならぬ声を聞く人だから、ということでつけたんです。
赤坂 『聴耳草紙』か。「聞き耳」も昔話とか仏教説話のテーマのひとつなんですよ。
三浦 それは知らないんですけれど、「番町皿屋敷」の幽霊ってお菊さんといいますよね。大学の時かな、あの世とこの世のはざまで幽霊として出てくる人は「菊」という名前になることが結構多いと聞いて、なるほどと思っていました。『聴耳草紙』というのはどういうものなんですか。
赤坂 佐々木喜善が昔話を採集して作ったのが『聴耳草紙』で、そこに「聞き耳」とか「聞きなし」というのが出てくるんです。
 我々日本人は、鳥の声や虫の声をすごく意識しているでしょう。風情があるとか言って、「閑さや岩に染み入る蟬の声」という芭蕉の有名な句もある。でも、ほかの国の人たちにとって、蟬の声は雑音なんです。日本人は虫や鳥の声を、言語をつかさどる脳のほうで受け入れているらしいんです。「聞き耳」とか「聞きなし」というのは、蟬の声や鳥の声、自然の音の中に、何かの意志やメッセージを感じ取ってしまうということだと思います。
三浦 聞きなしちゃう、ってことか。
赤坂 そうです。そこからアニミズムについて考えるのも面白いんですよね。日本文化の中では、そういうものが至るところに出てくるんです。それに、日本の若い学者が鳥の声を聞き分けて解読したでしょう。
三浦 ああ、『僕には鳥の言葉がわかる』(鈴木俊貴著、小学館)ですね。
赤坂 あれは海外の学術文献でもちゃんと取り上げられている。今、喜久美の名前の由来を聞いて、そうしたことを思い出しました。しをんさんの小説には、そういうことがさりげなく入っているんですね。ただ、意図的にやろうとしているようには見えません。
三浦 意図的にやろうとすると、何かつまらなくなっちゃう気がするんですよ。実作する人は、そういう情報や知識をあまり知りすぎてもよくない気がする。読む側としては、『宮崎駿の詩学』の民俗学的な読み解き方とかも、そういうふうに解釈できるんだという驚きがたくさんあってすごく楽しいんですけれど、実作する側がそれをあんまり意識しすぎちゃうと、今度はその型に当てはめようとしてしまうから危険かもしれないな、という気がしました、今。
赤坂 そうですね。頭でっかちな作品になると思いますね。だから僕が言うことは、忘れていいよって言いたいですね。押しつけがましくはなりたくないんです。
三浦 ぜんぜん押しつけがましくないのが、赤坂さんの著作のすごいところですよ。もっとドヤ顔で「これはこう解釈できる!」と言っていいのに、そういうのが全然ないですよねえ。
赤坂 うん、それはあんまり強いていない。僕自身がある意味、無意識で書いている部分がありますから。
三浦 そう、そういう気がしました。
赤坂 だから『夜の恩寵』についてもね、僕は神話的だという解釈を提示しましたけれど、それが正しいと言っているわけではないのです。それにもちろん、しをんさんが神話を下敷きにして書いたとも思っていないのです。そういう意味では、あざとく伏線が張られているわけでもないですね。三浦しをんという作家の中には無意識と意識が何かせめぎあっている部分があって、それが時々見え隠れしている。この作品はきっと、それが見えているほうなんだろうと思いますね。
三浦 いやあ、ありがとうございます。
赤坂 しをんさん、これまでもこういう怖さの漂う小説って書いてきました?
三浦 たまに。しばらく明るい話が続くと、暗いものを書きたくなるんです。
赤坂 『ののはな通信』なんかは、やっぱり怖いなと思うところがあったけれども、こういう怖さではないですね。
三浦 短編集だとちょっと暗めになるんです。
赤坂 それで読者は裏切られた気分になる?
三浦 どうでしょうね。読者のことはあんまり考えずに、その時に書きたいものを書いているので。それで怒っちゃう人はいるかもしれない。
赤坂 作品を読んだり、話を聞いたりしていると、しをんさんのある種の知性というか、すでに抱え込んでいる無意識の土壌の中に、やっぱり父親の影はあるような気はしますね。
三浦 そうなのかな。あいつめ、勝手に(笑)。
赤坂 でも、それはすごく大切なことだと僕は思いますよ。つまり、意識して書いているわけじゃないのに、そういうものが見え隠れしている。それは作家としてのしをんさんの財産ですよね。
三浦 そうなのかな。それじゃ許してやるか(笑)。
赤坂 だから僕は『夜の恩寵』を神話的な話として読んだわけですが、でもだからどうだこうだ、と言うつもりはなくて。変な影響を受けないでくださいね。『宮崎駿の詩学』についても、宮崎さんが意図的にこういうふうに描いている、と言っているわけではないので。
三浦 あくまでも、「そう読める」ということですよね。
赤坂 そうです。一人の受け手がそう読んでしまうことがその作品の外縁を広げて、作品がさらに豊穣になればいいな、と願っています。
三浦 私は『宮崎駿の詩学』を拝読したことで、宮崎駿監督の作品をまたあれこれ観返したくなりました。

(2026.5.20 神保町・月花舎にて)

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