ブログでは「私がカミングアウトできたのも美輪さんのおかげ」
美輪明宏さんが自身のセクシュアリティについて公にしたのは1957年以降のことだった。シャンソン「メケ・メケ」を、中性的で艶麗なファッションを身に纏ってカバーすると、作家の三島由紀夫氏が「天上界の美」と絶賛。当時のマスコミも「神武以来の美少年」や「シスターボーイ」などと囃し立てた。
芸能界でそんな美輪明宏さんを慕う者は少なくないが、華道家の假屋崎省吾さん(67)もそのひとりだ。訃報をうけ、假屋崎さんが「集英社オンライン」の取材に書面でコメントした
假屋崎さんが美輪明宏さんを初めて知ったのは、小学生の頃だった。
「テレビで『老女優は去り行く』という歌を聴いたのがきっかけで大ファンになりました。
その後、私が20代後半、母の死をきっかけに渋谷の『ジァン・ジァン』に毎月2日間、欠かさずリサイタルを聴きに伺うようになってから、公認の追っかけになり交流が生まれました。
『たけしの誰でもピカソ』や『オーラの泉』など、多くの番組で共演しましたが、美輪さんの音楽会、お芝居には、必ず初日と中日、 そして千秋楽にと欠かさず駆けつけ、おそらく最多の追っかけでした」
假屋崎さんにとって美輪さんは、ただ追っかけの対象だっただけでなく、精神的支柱でもあったようだ。現在は閉鎖しているブログで同性のパートナーと同居していることをカミングアウトしており「私がカミングアウトできたのも美輪さんのおかげ」とも記している。













