「現実から目を背けない」『テロル』月村了衛 インタビュー_1
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テロル
著者:月村 了衛
定価:2,035円(10%税込)
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著者:月村 了衛
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衝撃の幕開けについて

――テロを題材にした小説を書くことになったきっかけはなんですか。

月村 担当編集者からテロリズムについて書いてほしいと御要望をいただきました。日本文学でテロリズムというと、私が真っ先に思い浮かべるのは大江健三郎の「セヴンティーン」と後編にあたる「政治少年死す」です。後者は長年封印されて読めない状況が続いていたんですが、現在では全集に入っているので、買ってきて読んだんです。読了して、テロリズムで書こうと思いました。もちろん、私が大江健三郎と並ぶなどとは思っていません。同じ題材でも作家が違えば作品は、まったく別のものになりますから。ただ、同じ問題を扱うとしても、今の時代に書く以上は、現代の日本社会を背景にした形で書かなければならないだろう。「セヴンティーン」と「政治少年死す」を念頭に置きながらも、あくまで自分の小説として書くしかない、という感じで着手しました。

――日本社会党委員長の浅沼稲次郎(あさぬまいねじろう)山口二矢(やまぐちおとや)少年が刺殺した実際の事件から着想を得た大江の「政治少年死す」は、右翼団体の脅迫で封印されたことで知られ、テロをテーマにした作品のなかでも有名ですよね。

月村 政治的な事件を背景にしながら、同時に一人の青年の内面を徹底して描いている。あの作品はやはりすごい強度を持っている。ただ、私が同じことをやろうとしても仕方がないわけです。むしろ、今の日本社会において、テロというものがどういう形で現れているのか、そこから考えていくしかない。その意味では、大江の作品は出発点ではあっても、目標というわけではありませんでした。

――小説の冒頭に、主人公が元総理殺害のニュースを見て性的興奮を覚える衝撃的な場面が書かれています。それこそ政治と並べて性を大きく扱っていた大江作品を連想するわけですが。

月村 あの射精シーンは、実は大江健三郎の影響ではないんです。私は過去にも『(きょ)伽藍(がらん)』で主人公が読経しながら射精してしまう場面を書いています。宗教的恍惚はあっても官能的要素は一切ないようなことを、以前から実感する機会があったんです。ふり返ると、中学校の美術の教科書に、尼僧が法悦の境地にある古典彫刻の写真が載っていました。『聖テレジアの法悦』だったと思うのですが、それを見て、宗教的恍惚と性的恍惚はどう違うのだろうかと考えたりもしました。精神的な高揚が極限まで高まった場合、人間の身体がどういう反応を示すのか。それを描写した表現ですね。小説を執筆していると、特にエモーショナルな場面を書いている時に内容とは関係なく身体的な反応が起こることもあるんです。勝手に断言はできませんが、たぶん他の作家の方や違う分野のアーティストの方もそうなのではないかと思います。

――あの場面は単に衝撃を与えるためではなく、精神の高揚を描くための表現でもあるわけですね。

月村 そうですね。もちろん読む人によっては衝撃を受けるでしょうが、私としては精神状態を表現する一つの方法として書いています。宗教的な恍惚というものも、ある意味では身体的な感覚と結びついている。そういう人間の感覚の問題として捉えていただければと思います。

――なるほど、冒頭の暗殺の場面が宗教画に(たと)えられている理由がわかりました。その事件は宗教二世による犯罪と設定される一方、犯人が主人公によって神格化される面もあって、宗教がいわば二重になっていますよね。

月村 この作品は全編にわたってその種の暗喩をちりばめているので、読者が全部気づいて解釈する必要はないですけど、そのように気にとめてくれると(うれ)しいという目論見はあります。暗喩によって重層的にテーマが浮かび上がってくれればいいと思っています。

――作中に実際の固有名詞は登場しませんが、近年の様々な事件を思わせる要素が多く出てきますね。

月村 あくまでもフィクションなので、作品では設定をいろいろ変えていますが、現代日本のテロリズムを象徴するものとして、元総理の暗殺事件は当然、視野に入れたうえで書いています。それ以外にも、作中ではアレンジして書いていますが、いくつかの事件について資料を調べました。資料を読むにつれて感じたのは、こういう事件を起こした人間を、起こす前に社会は本当に救うことができなかったのだろうかという疑問でした。もちろん、犯罪を肯定するわけではありません。しかし、なぜそういう行動に至ったのかを考えずにはいられない。そういう思いがだんだん強くなっていって、一気呵成(いっきかせい)に執筆したという部分はあります。

日本社会は底が抜けた

――宗教二世や芸能界の性加害など、現代社会の様々な闇の部分が語られています。

月村 ええ。私は三十年ぐらい前から、日本社会はもう底が抜けたと言ってきたんですが、最近の状況を見ると、まだ底があったのかという印象です。底が抜けたと思ったらまた抜ける。二重底、三重底といった具合です。とうとうここまで来たかという危機感があります。現代日本を描こうとすると、象徴的な事件や出来事はどうしても出てくる。むしろ筆の先から自然に出てきたという感覚に近いです。ただ、事実を全部書くわけではありません。私が書いているのはあくまでフィクションですので。小説として書く以上、調べたことを全部書くのではなく、作品に貢献する部分だけを書くようにしています。

――今回の作品は、四百字詰め換算で三百枚ほどのやや短めの長編ですが、構想の段階でこの長さは決めていたのでしょうか。

月村 自分では昨年発表した『普通の底』から第三期月村了衛と自称していて、『テロル』はそれに次ぐ作品と位置づけていました。その上で『テロル』は、三百五十枚だった『普通の底』より短くなるだろうと、あらかじめお伝えしていました。この二作はいわゆるエンタテインメントではないところから発想しているんですが、自分はエンタテインメントの技術が身についていますので、プロットで長くしようと思えばいくらでもできる。でも、この作品の場合、いたずらに長くするよりも、テーマに踏み込む形で切れ味鋭く書く方がいいと判断しました。狙い通りに着地できたので、自分では大変満足しています。

――プロットは立てていたんですか。

月村 最近の私は、どちらかというと書きながら考える傾向にあります。もちろん大まかな方向は事前に考えますが、細かいプロットを最初から決めてしまうと、かえってテーマの追及が限定されかねないリスクがある。だから、以前の『普通の底』の時もそうだったんですけど、ある程度書いたところで編集者に読んでもらいながら進めていく形でした。

――結末も最初から決めていたわけではなかったんですか。

月村 そうなんです。「小説すばる」での連載(二〇二五年九月号~二〇二六年一月号)が終盤になった際、さすがに最終回をどうするか打ち合わせをしましょうとこちらから編集者に連絡しました。でも、作品のことをずっと考えているうちに思いついたことがありまして、「それで書いてみようと思うのですが、もし駄目だったら当然ボツにして書き直します」と連絡して、許可をいただきました。結果的には好評価をいただきまして、「結末はこれしかないでしょう」ということになりました。そういう意味では、書きながら見つけていった結末と言えるかもしれません。

――作中には非正規労働者の主人公をはじめ、インセル、チー牛、非モテ、無敵の人など、それぞれの言葉で意味するところに差異はありますが、いわゆる弱者男性の問題が出てきますね。月村さんは、どのように考えているんですか。

月村 インセルなどの言葉は、担当編集者との最初の雑談の中で出てきたもので、そういう要素はやはり入れておいた方がいいだろうと思いました。言い方は難しいですが、私自身も弱者男性の気持ちはわかるところが大いにあります。そういう人たちがどんな心理状態にあるのかは、自分の感覚をもとに書いていきました。今はポリティカルコレクトネスの時代で、私もそれ自体は全面的に支持しています。ただ、差別というものが簡単に解消されるとは思っていません。だからこそ、一方が一方を攻撃するのではなく、お互いに尊重するという姿勢が必要なのではないかと考えています。

――小説の中では、弱者男性の心理がかなり生々しく描かれていますね。

月村 ええ。ただ、ああいう人物を単純に悪として描いてしまうと、小説としては面白くないんですね。もちろん、犯罪は犯罪ですし、許されるものではありません。しかし、なぜそういう行動に至るのかということを考えると、人間の内面というのはそう単純ではない。むしろ怖いのは、特別な怪物のような人物が現れて事件を起こすのではなく、どこにでもいるような人間が、一定のある条件下でそういう行動に出てしまうということだと思います。

――つまり、極端な存在ではなく、むしろ普通の人間として描くことが重要だった。

月村 そうですね。読者がその人物をまったく理解できない存在として読むのではなく、「もしかしたら自分もこうなっていたかもしれない」と思えるような距離感が必要だと思ったんです。もちろん、そこまで共感してほしいという意味ではありません。ただ、人間というのは状況によってどこまで変わってしまうのか、その可能性を考えてみることは重要だと思っています。

「現実から目を背けない」『テロル』月村了衛 インタビュー_3
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