「新しいものが出てこなくなったな」

──せいこうさんが活動を始めた当時の作品を振り返ると、都市の空気や時代の感触にすごく敏感だった印象があります。今の時代、たとえば東京にいなくても、ネットを通じて東京的なカルチャーや空気に参加できてしまう。そう考えると、いとうせいこう&TINNIE PUNX『東京ブロンクス』の〈東京はなかった〉というリリックも、今あらためて別のリアリティを帯びているように思います。

その「なさ」が逆に可能性でもあるんだけどね。とはいえ、やっぱりコミュニティを作るための最低限の磁場みたいなものは欲しい。

昔、東京ロッカーズの人たちが、俺とか(藤原)ヒロシとか、その周辺のヒップホップの界隈に声をかけてきてくれて、彼らのライブの間に俺も出たりしてたんだよ。思えば、あの時が東京にヒップホップが入ってきた瞬間だった。

その感触があったのは、彼らが作った磁場があったからこそだし、クリエイティブなものを生み出すためには磁場が必要なんだよね。

80年代には藤原ヒロシやヤン富田、高木完らとともに日本語ラップシーンを牽引した
80年代には藤原ヒロシやヤン富田、高木完らとともに日本語ラップシーンを牽引した

──80年代後半のせいこうさんは、『東京ブロンクス』や『ジャンクビート東京』、さらに初小説『ノーライフキング』と、今振り返るとかなり独特な作品を続けて発表されています。当時の作品を見返すと、バブルへ向かう空気のなかで、早くも世紀末を予感させるようなムードがあります。

あの頃、明るい曲で踊り狂ってる東京の人たちを、どこか冷めた目で見てるところはあったかもしれない。同時期のロンドン産のヒップホップやダブは、暗さや狂気に満ちているものが多かったし、一方でニューヨークの黒人たちが作り出すものには、突き抜けた暴力性があった。そしてその間に「オシャレな東京」のイメージがあった。

当時の自分は「東京」「ロンドン」「ニューヨーク」という3つの都市を通じて世の中を見ていて、いろんなものがごちゃごちゃになっている感覚があったわけだけど、それらには暗い未来だったり、人間そのものの暗さが通底してたりしたわけ。

──当時のせいこうさんの作品には、時代分析や予言のような姿勢があったと思います。一方で現在は、古典作品や伝統芸能を掘り下げて紹介する活動もされています。この変化には、ご自身の中でどんなきっかけがあったのでしょうか?

一番は、「新しいものが出てこなくなったな」という感覚じゃないかな。過去のものを掘っていったほうが面白い、と思うようになった。古典に触れることで、むしろ新しいものの楽しみ方もわかるようになってくる。

もちろん、時代分析や予言のようなことをやっていた頃もすごく楽しかったし、勘が働いたこともたくさんあった。けれど今は、その勘だけでは追いつけないくらい、世の中にとっての価値がばらけてしまっている。

そうなると、自分にとっていちばん価値の中心にあるものを突き詰めたほうがいいじゃない。俺の場合、それは「言葉」になるわけだよね。

近年では能や文楽などに関心を示しているという
近年では能や文楽などに関心を示しているという

──古典のほうへ向かったことで、今の表現の見え方はどう変わりましたか。

面白いよ。後ろへ行ったら、いくらでも宝物があった。新しいものが出てこない、っていうより、見えてなかっただけなんだよね。古典って、単に古いものじゃなくて、言葉とか息とか距離とか、今の表現にもそのまま返ってくるものがある。だから、そっちを掘っていくと、むしろ今のものの見え方まで変わってくるんだよね。

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取材・文/キムラ 撮影/杉山慶伍