忘却に抗って書く
はびこりつつある歴史修正(改竄)主義の果てには「原爆投下なんてなかった」「それほどの規模ではなかった」などという言説がまかり通る日が──まさかとは思うが──来るのではないかという恐れさえある。
例えば昨今、広島を訪れる内外の若者たちが、きれいに整備された平和公園を見て「公園の上に原爆が落ちてよかったですね」と言い、復興した市街を見て「被害はそれほどでもなかったんですね」と言う。
1945年8月6日、晴れ渡った空の下には賑やかな廣島の街があり、ささやかでもかけがえのない数多の暮らしがあった。だが、一発の原爆によって何十万ものかけがえのない命が奪われた。過去形ではない。進行形でもある。今も放射線由来の病に苦しむ人もあれば、二度と帰ってこない誰かを待ち続けている人もある。この人たちは皆、未来の私たちでもありうる。
原発事故後、福島の人々が避難の困難さに加えて差別や風評被害に苦しめられていることを知るにつけ、広島市民の戦後に重ねずにはいられなかった。
同時に、私たちがヒロシマ(やナガサキ)をもっと伝えてこなかったので、フクシマに繫がったのではないかという悔いに苛まれた。
だからこそ、忘却に抗って書く。
過去の「負の記憶」を語り伝えることは、未来に二度と同じことが起こらないよう警戒することと同義だからである。
共感共苦をもって「負の記憶」を心に刻むなら、その先には核兵器使用も、安易な「核の平和利用」もありえないはずなのだ。
文/朽木祥













