『水滸伝』、『三国志』であろうと、日本人を書いている
――そもそもハードボイルド小説を書かれていた北方先生が、歴史小説を書き始めたきっかけは何だったのでしょうか?
歴史に最初に触れたのは、1980年代の終わりだと思う。ハードボイルドを書いていると煮詰まっちゃうの。日本では拳銃ひとつとっても簡単に手に入れられない。「拳銃を手に入れて誰かを撃つ」ってだけで1冊書けちゃうくらい。
そこで「歴史だ」って。時代をさかのぼって歴史に場を借りようと思って、80年代後半から勉強しながら歴史小説を書くようになった。
――初めは日本史でした。
初めに南北朝時代、次に江戸時代の話を書いていたんだけど、ある日、懲役に行く角川春樹※1に呼び出されたんだ。
角川春樹に「俺が懲役に行っている間も会社は食っていかなきゃいけない」と言われて、「とりあえず三国志を書け。3ヶ月後に出す」と言われた。
――三国志については当時詳しかったのですか?
いや、その時は魏・呉・蜀さえ知らなかった。吉川英治『三国志』はその後に読んだ。あまりに恥ずかしいから、「吉川英治は読んでた」って言ったかもしれない。
――過去のインタビューではそうおっしゃっていました。
言ったかもしれないけど、まともに読んでなかったね。『水滸伝』もよく知らなかった。
――当時、史書をベースにしたというのが革命的でした。※2
俺は史書を読んで、一応事実関係を把握したよ。そこから『三国志』を1ヶ月で1冊書いたんだよ。死にそうだったね。
しばらくしたら、角川春樹が本当に懲役に行くことになった。「行ってくるぞ。20巻くらい書いといてくれ」って。
俺は「約束したくない」って言ったのに、彼は「いま自由の身でいる俺の目の前で約束しろ、2ヶ月に1冊、書き下ろしを書け」って言ったわけよ。当時他の仕事もしてるしね、冗談じゃないって思ったよ。
――漢(おとこ)と漢の約束ですね。
「お前はこれを書いたら世界が広がる」と言われたことを覚えてるね。
書いてみなきゃ分かんないけど、広がりそうな気がした。それで「書くよ」って言って。だめだったら、また江戸時代に戻って人を斬ってりゃよいかなと思ってさ。
そしたら3巻くらいまで出したころに、角川春樹事務所の編集者が震えているわけ。「どうしたの?」って聞いたら「部数が」って。
最初はずっと、わずかな部数だったんですよ、2万5千とかね。それが、あっという間に第1巻は5万を超えて、6万を超えて。本当に売れたんです。
――その後『水滸伝』を書くわけですが、『水滸伝』の原典もその時に初めてお読みになったんですか?
うん。原典では梁山泊に108人が勢ぞろいするまで1人も死なないで、そろったら次々と櫛の歯が欠けるように死ぬんだよ。しかも、反乱を抑える官軍になる。そんな馬鹿な話はないだろう。だからすぐに俺のものにできた。自由だったね『水滸伝』を書いてる時は。
私は、『三国志』であろうと、『水滸伝』であろうと、日本を書いて日本人を書いてます。「日本人の感覚を持ってるやつが、中国人の顔をして殺し合いとかしてる」そういう風に書かないと、現代では受け入れられない。だから俺は自分の『水滸伝』を書こうと思ったんだ。
書いてる最中から「楊志(ようし)※3を殺して掟破りー!」とか言われたんだけど「良いぞもっとやれ!」ってやつもいてさ。『水滸伝』も、物凄い増刷がかかったね。















