朝鮮人虐殺に憤り、悼みたい思いをすでに持っている人

そしてタイトルだ。

ブログは「9月、東京の路上で」というタイトルであり、このブログに共感した人は、すでにこの名で認知している。

そして、ぼくも安藤もとてもいいタイトルだと思っていた。

ただ、それだけではなんの本だか分からない。そこで、補足的なサブタイトルを付けることにして、とりあえずメインタイトルを(「9月」と漢数字表記に変えて)『九月、東京の路上で』と決めた。

ここまでは、ある程度スムーズに進んだのだが、カバー(表紙)案がどうしてもすり合わせできなかった。

ブログは加藤さんを含む複数のメンバーで構築されていた。彼らが抱くのは「追悼」のイメージだという。本によって被害者を悼むという思いだ。その思いに異論のあるはずもない。が、それによって読者となるターゲットが先鋭化されてしまわないか、との懸念も拭えない。

「先鋭化」はけっして悪いことではない。たとえば、一輪の花を図案化することで「悼む」行為を明確にして、本全体からメッセージを発するのは、造本のセオリーとして正しい。「正しい」に語弊があるなら「オーソドックス」と言い換えてもいい。

しかし……。朝鮮人虐殺に憤り、悼みたい思いをすでに持っている人にとって、90年前の虐殺事件は、あまたある資料や書籍などから既知のことではないか。一方で、そうでない人にとっては史実を知る以前に追悼を押し付けられたのでは「わがごと」と受け止めきれないだろう。要するにダブルでスルーされ「売れるように」はならない。

そんなとき、加藤さんが虐殺現場を歩くスタディーツアーを開催した。「ツアー」といっても、自らの足で歩くのであって、移動は公共交通機関。交通費は自弁で、参加費はゼロ円だ。

その行程で、ぼくは初めて都立横網町公園を訪れた。大震災直後には、当時の陸軍被服工廠の跡地(なんの因縁か、ころからがその後に本拠を構える北区に移転していたのだ)に多くの被災者が逃げ込み、そこに火災旋風が巻き起こって、3万8000人もが亡くなった場所だ。いまは公園になっていて、中心に慰霊堂が建つ。その公園の一角に都立の復興記念館がある。

この復興記念館に所蔵され、のちに『九月、東京の路上で』のカバーを飾ることになるのが、震災当時小学4年生の山崎巌が描いた絵だった。

館内には、この絵のレプリカが展示されていて、一瞬にして目が離せなくなった。芋畑と思われるなかで逃げる朝鮮人を自警団らしき人びとが捕らえようとしている図だ(下記参照)。あとで知ることではあるが、研究者たちにはよく知られた絵で、ある意味「凡庸」なイメージすらあるというが、まったく「素人」のぼくには、これしかないと確信するほどのインパクトだった。

書籍『本づくりで世の中を転がす 反ヘイト出版社の闘い方』より
書籍『本づくりで世の中を転がす 反ヘイト出版社の闘い方』より

そして、加藤さんにこの絵をカバーにしようと提案したものの、反応は芳しくなかった。彼のように「詳しい人」が見るこの絵と、そうでない人が見るこの絵は、見え方が違うのだと気づく。

なかば強引に説き伏せ、復興記念館にレプリカではなく実物を撮影したいと依頼したところ快諾され、『離島の本屋 22の島で「本屋」の灯りをともす人たち』(2013年)で写真を担当された今井一詞さんの協力を得て撮影させてもらった。

ちなみに、この絵の収められた画集は2冊の立派なアルバム状になっているが、さすがの年月によって朽ちかけている。早急な対応が必要と思われるが……。

さて、タイトル、カバーが決まったが、それだけで「売れるように」はならない。

意外に思われるかもしれないが、本を出す際の重要課題に「著者名をどうするか」がある。