コネ入社でいじめに遭う

父は社会的に影響力のある人物ではありましたが、僕は父が好きにはなれませんでした。母もそうですが、父もとにかく見栄っ張りなのです。いつも誰に対しても、「俺は凄いんだ」とマウンティングしかしないような人間です。

父の両親、つまり祖父母も見栄っ張りです。ふたりとも公務員でそれなりの社会的地位はありますが、裕福ではなかったことがコンプレックスだったようです。こういう家に良家のお嬢様が嫁いで、うまくいくわけがありません。母のような女が丁度良かったのでしょう。

父は東大卒なので僕から見ればエリートですが、東大の中では大したことがなかったという話も聞いたことがあります。ネットでは、学者になれる能力もないくせに評論家だなんて、とか評判は散々です。

東京大学の赤門(PhotoAC)
東京大学の赤門(PhotoAC)

そんな父が医者にコンプレックスがあるのは確実で、僕は幼い頃から医者になれと言われて育ちました。それを真に受けて医学部を受験しました。

医学部を諦めた僕は、有名私立大学を受験し合格しました。全国的に有名な大学なので三浪とかは普通だったし、それほど劣等感を抱くことなく楽しい学生生活を過ごすことができました。

卒業時、既に二十代後半だった僕は結局、就職では親のコネに頼らざるを得ませんでした。もしコネがなければ、年のいった新卒が採用されることはないような大きな会社です。

コネ入社の社員は僕だけではないのに、なぜか僕だけがターゲットにされ、陰口を叩かれたり無視されるいじめが始まりました。

僕は年だけはいっていますが、右も左もわからない新人です。有望視される若い男性社員には女性陣が群がり、競うように仕事を教えているのです。一方、僕には誰ひとりつかず、何を聞いても無視されるのでした。

写真はイメージです(PhotoAC)
写真はイメージです(PhotoAC)

あまりに屈辱的な周囲の対応に、僕はすぐに会社を辞めてしまいました。

父親は他にもいくつかの会社を紹介するとしつこく言いましたが、資格を取って開業したいと説得し、法科大学院に進学したのです。

三年で法務博士の学位は取得したのですが、司法試験には合格できませんでした。三十歳を越えていましたが、父親のコネで中小企業の法務部に入社することができました。

ところが、ここでも女性社員のパワハラに遭うことになりました。僕の上司は、氷河期世代の就職難を乗り越えて入社した優秀な女性社員でした。それだけに、僕のような優遇された身分の男が許せなかったのかもしれません。僕は彼女の満足のいくような仕事ができないまま退社に至ったのです。それからは、引きこもりです。