どちらから読む人が多いのかが楽しみ
── この小説は考察系小説でもあると思います。読み終えた人同士でどう読んだかを話し合うと面白そうです。作者としては、どこまで説明して、どこまで書かないかに迷われませんでしたか。
『I』に限らずいつも迷いますね。僕が読者だったら、作者に全部説明されるほど鼻につくことはないんですよ。僕は読書は能動的なものだと思っています。能動的に楽しむためには、登場人物の感情や思考を全部文章で説明したら面白くなくなるんですよ。
例えば「大きな怒りに駆られた」と書くよりも、「拳を握り締め過ぎて、関節が白く浮いていた」と書いたほうがその怒りの大きさが想像できますよね。読者が能動的に考えてくれればくれるほど、物語が読者の脳内でしっかり立ち上がってくれます。結末に関しても一緒で、書き過ぎないようにしています。
── 読者が能動的に読むという意味では、解釈の幅が生まれてもいいですよね。道尾さんの中に整合性がとれた「正解」があるとしても。
僕の中にはありますけど、もちろん読み方は読者の自由です。この二つの物語を同じ順番で読んだ人が十人いたとして、その人たちが「このラストシーンの翌日の新聞記事を書いてみてください」って言われたら、十人が十人同じではなく、少しずつ違うところがあると思うんですよ。
── なるほど。それはすごく分かりやすいたとえですね。
それが小説の面白さですよね。ただ、僕はXをやっていて、連載の時点でDMで感想を送ってくれる人がいるんですが、その人は見事に全部伏線を拾ってくれて。僕が考えていたことが読者に伝わっているんだと、単行本出版に向けて自信がつきました。
── 特にキーになってくるのが本の扉にも描かれている赤い傘で、悩ましい存在です。私も赤い傘が出てくるシーンを何度も確かめたりしました。
そうなんですよね。そこも文章だけを手がかりに読んでいく小説の面白さですね。こうであってほしいという願望が文章の解釈に微妙に影響を与えてしまう。
僕は、韓国映画の『シークレット・サンシャイン』のように、主人公たちと同じか、それ以上に観客が祈りたくなる作品が好きなんです。自分でもそういうものを作りたいと思っていて、解釈の幅があるオープンエンドの作品だからこそ、そこに読者の祈りが重なってくれると思います。こうなってほしい、こうなってくれって。ただ、『I』に関しては読む順番によっては、その祈りは通じないかもしれないのですが。
── 物語の結末がどのようなものであっても、祈ったことには意味があると思います。心が動いたということですから。
そうですよね。『I』の結末はハッピーエンドとバッドエンドに分けられるんですけど、はっきりとそう言い切れない部分も残っていると思うんです。ですから、読者の方には、くれぐれもこの順番で読んで失敗したとは思ってほしくないですね。
どっちから読む人が多いのかな。それがすごく楽しみですね。
── アンケートをとりたいぐらいですね。
そうですね。今回、読む順番が五分五分ぐらいになってもらうのが理想なんですよ。そこで大事なのが一行目。どちらから読み始めるかに影響を与えるので。
「『焼死体って、ファイティングポーズをとってるんですよ』」が「ゲオスミン」で、「まさかキスに味があるとは思わなかった」が「ペトリコール」。どちらも一行目を読んだら続きが読みたくなる文章を最初の行に持ってきました。一行目にこんなに気遣ったのは初めてかもしれないです。
── 想像させますよね。どっちから読もうか、ますます迷いそう。この『I』というタイトルも、ひっくり返しても「I」ですけど、向かい合っている二つの世界を区切っているようにも見えます。二話で世界を作っているという意味でもすごくぴったりなタイトルです。ほかにもいろいろな解釈ができそうです。
読者それぞれの解釈があるといいですね。『N』だけでなく、写真を使った『いけない』シリーズや、音をからめた『きこえる』でもやってきた体験型ミステリーの最先端なので、きっと読書好きの人だけじゃなくて、いろんな人が手に取ってくれると思います。
── 最後に読者に向けて一言お願いします。
間違いなく初めての体験を提供しています。ぜひこの本を手に取ってみてください。














