「会社に守られる」という幻想
僕の子どもの頃、両親は小さな蕎麦屋を営んでいた。湯気が立ちのぼる厨房で、粉をこね、麺を打ち、だしを合わせる両親の姿があった。その一杯が美味しければ、お客さんはまた店に来るが、味が落ちれば足は遠のく。自営業の我が家では、努力と収入がある程度は結びついていた。
戦後間もない日本では、自営業や家族で仕事を手伝う働き方が主流だった。総務省の統計によれば、その割合は、働く人の半数を超えていた。その後、高度成長期を経て会社勤めが増え、2020年には自営業の割合は1割にまで減った(総務省統計局「労働力調査」)。今では、日本で働く人の9割が雇用者だ。
「がんばっても収入が上がらない」という不満には、こうした働き方の変化も影響しているだろう。
高度成長期の日本では、終身雇用や年功序列の仕組みが安定を約束していた。自営業より会社員が安泰だという価値観が浸透し、「大きな会社に入りなさい」と子どもに勧める親も多かった。実際、組織で働くほうが生産性は高く、「モノ経済」が順調だった当時は、会社員の収入も伸びていたのだ。
ところが1990年代以降、日本経済は長い停滞期に突入する。モノがあふれて売れにくくなるなか、「いい会社に入れば安泰」という神話は徐々に崩れていった。
えらそうに言っているが、僕自身も「大企業病」と指摘されたことがある。大企業病とは、大きな会社に入った安心感から、自分で価値を生み出す感覚が薄れることを指す言葉だそうだ。
大学時代、学費のためにベンチャー企業からプログラミングの仕事を請け負っていた。『はじめてのC』という入門書を片手に格闘する僕を、社長は苦笑しながらも認めてくれ、次々と仕事を任せてくれた。自分の成果がそのまま評価され、収入にも直結する自営業のような働き方に手応えを感じていた。
そんなある日、社長は「一緒に会社を大きくしよう」と、正社員として誘ってくれた。しかし僕はその誘いを断り、安定を求めて大企業への就職を選んだ。
僕の決断を聞いた社長は残念そうに、「そうか、大企業病にかかっちまったか」とつぶやいた。当時は深く考えなかったが、あのときの言葉が今でも胸に引っかかっている。
僕は「大きな会社に入れば安泰」という幻想にとらわれ、会社が自分を守ってくれると信じて疑わなかった。
だが、どんな幻想も必ず壊れる瞬間が訪れる。













