支えるのは会社か社員か

2008年9月15日、敬老の日の月曜日。

東京の街角には三連休を楽しむ穏やかな空気が流れていた。だが僕は、休日にもかかわらず、オフィスに呼び出された。

その数時間前、アメリカのリーマン・ブラザーズ証券が経営破綻したのだ。「リーマンショック」の始まりだった。

写真/shutterstock 写真はイメージです
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僕が勤めていた証券会社もその余波をまともに受けた。倒産はなんとか回避したものの、大幅な人員削減は避けられなかった。

それから半年間、オフィスは張り詰めた空気に支配された。内線電話が鳴るたびに、「次は自分か」と誰もが身構える。呼び出された同僚は席に戻らず、残された私物は段ボール箱に詰められて、後日家に送られた。そんな光景が繰り返される中で、僕はある事実を深く思い知らされた。

会社は、社員を養うための装置ではない。

会社とは、価値を生み出し、社会に役立つための場にすぎない。誰かの役に立つ価値を提供できなければ、企業は容赦なく淘汰される。

「会社が社員を支える」のではなく、「社員が会社を支える」、あるいは、「社員が会社を通して社会を支える」。そんな単純な真実を、リーマンショックの嵐の中で骨身にしみて理解した。

僕自身が会社に残れたのは、たまたま必要とされる業務を担っていたからだ。

「外資系だから特別だ」と思う人もいるかもしれない。たしかに日本企業なら、まだ一定の安泰を感じられる。日本は長らく雇用を守る名目で、規制や補助金を通じて、政府が企業や産業を守ってきた歴史があるからだ。

しかし、その安泰もすでに揺らいでいる。

正社員の雇用を無理に守るために生まれた「調整弁」が、非正規雇用だ。契約打ち切りや待遇悪化などのしわ寄せが広がり、非正規比率は約4割に達した。最近では、正社員にも希望退職を募集する企業が増えている。

日本の経済力は確実に弱まりつつある。年金制度だけで老後を支えきる余裕はなくなり、自己責任が求められる時代に突入している。同じように、価値を提供できない企業を、無理に守り続ける余力も残っていないだろう。

「大きな会社に入れば安泰」という神話は、すでに崩れ始めているのだ。