長嶋茂雄亡き後の球界はどうなるのか?
「長嶋さんがお亡くなりになりました」
2025年6月3日の午前8時30分を過ぎたころだった。長嶋茂雄さんを長年サポートしてきた知人からの電話があり、その第一声に対して私は言葉が出なかった。
ここ数年、緩やかに弱っていく姿を目の当たりにしては、「どうか、1分1秒でも長く生きてほしい」と願っていた。だが、電話をいただく少し前の午前6時39分、長嶋さんは永眠された。
「この日が来てしまったか……」
偽らざる思いだった。令和7年となる2025年は、昭和元年から数えて100年を迎える。そんな区切りの年に、私は「長嶋さんの時代が終わった」と痛感していた。
長嶋さんが巨人の選手としてデビューしたのが昭和33(1958)年。それから亡くなられた2025年までの68年間は、まさに長嶋時代だったのではないか。
現役を引退しようが、監督を退任されようが、長嶋時代は不朽のものであると私は考えていた。ただ、長嶋さんが旅立たれた事実をかみしめると、言いようのない悲しみが、とめどなくあふれた。
同時にこんな思いが脳裏によぎった。
「これからの野球界はどうなっていくのだろうか―」
その日の夜、日本テレビで長嶋さんの追悼番組が放送された。内容は監督を務めた1990年代以降の映像が中心で、現役時代の映像はごくわずか。長らく「巨人の長嶋茂雄」を見続けてきた私にしてみれば、とても巨人のお膝元のテレビ局とは思えないほど、お粗末な内容に感じた。
視聴率は7.4%と一桁台にとどまり、「期待外れだった」という声も聞こえてきたが、急な事態ゆえこればかりは仕方のないことだ。
今の制作スタッフたちが、長嶋さんの現役時代を生で見ているとは思えない。
40代以下の人たちからすれば、物心ついたときには「監督」で、「数々のユニークなエピソードを残した人物」という程度の認識だったのではないか。
ならば、突貫工事で放送する必要はあったのかが疑問である。現場のスタッフが上層部の人間とひざを突き合わせ、内容を吟味するべきだったはずだ。くわえて、番組告知を徹底的に行っていれば、より国民的な追悼番組になっていたんじゃないか。













