「最初は“なんのこっちゃ”と…」
ダルビッシュ有、涌井秀章、金子千尋、能見篤史など、投手の当たり年と言われた2004年のドラフト会議。
その中でも目玉として注目を集めていたのが明治大4年の一場靖弘だった。
しかし、同年8月に“栄養費”という名目で複数の球団スカウトから裏金を受け取っていたことが発覚。世間から大バッシングを受けた一場は謝罪と謹慎に追い込まれ、本命だった巨人入団は叶わなくなった。
結局、新規参入したばかりの楽天へ入団するも、プロ通算8年で16勝33敗、防御率5.50とポテンシャルを発揮できずに引退。
世間をザワつかせ、球界にも大きな影響を与えた “一場事件”とは何だったのか。あれから21年、一場が正社員として働く保険代理店「ほけんのぜんぶ」のオフィスへと訪れ、事件の真相を聞いた。
――今年のドラフト会議も無事終了しましたが、やっぱりこの時期になるといろいろとフラッシュバックしますか?
一場靖弘(以下、同) 20年以上前の話ですからね。さすがにそれはありませんよ。
――昨年12月に“一場事件”当時の巨人オーナーだった渡辺恒雄氏がなくなりましたね。
球界のドンを失ったわけですから残念ですよね。ただ、直接お会いしたことはないので、これと言った感情はないんです。
――事の発端は2004年8月。一場さんに対して約200万円の“栄養費”を渡していたことを巨人が公表し、渡辺オーナーが辞任、さらに球団社長、球団代表、編成本部長らの解任が発表されたことから大騒動に発展しました。
ちょうどその時、全日本で台湾遠征(7月24日~8月1日まで開催されていた第2回世界大学野球選手権大会)に行ってたんです。たしか準決勝か決勝の前に、巨人のスカウトから電話がかかってきて「大変なことになったので、帰国したら事務所に来てください」と。
最初は“なんのこっちゃ”って感じでした。













