2軍キャンプ初日で「これは無理だ!」
157名の選手が現役引退・戦力外通告となった昨シーズンのプロ野球界。そのうち、現役続行、コーチといったチームスタッフ、球団職員など、NPBやその他野球関係の進路を選んだのは123名だった。
その他21名が未定・不明で、残りの13名が一般企業への就職、起業、進学。つまり戦力外を受けた約10%が野球とは関係のない道を歩んでいる。
「野球しかやってこなかったのに大丈夫なの?」
そう思う人もいるだろう。もちろん、厳しい現実をつきつけられる元選手もいるかもしれない。しかし、プロの世界でしのぎを削った経験は間違いなく社会生活でも活きる。
それを証明したひとりが2012年にDeNAから戦力外通告を受けた高森勇旗氏だ。コンサル業で成功を収めた彼に、“地獄だった”選手生活について聞いた。
――2006年に高校生ドラフト4巡目で当時の横浜ベイスターズに入団。高校生からプロに入った選手は2軍ですらハイレベルすぎて自信を喪失するというのはよく聞きます。高森さんも同じような経験を?
高森勇旗(以下、同) そうですね。僕はキャッチャーで入団したんですけど、2軍キャンプ初日で「この世界でやっていけるのかな……」ではなく、「これは無理だ!」と思いました(笑)。
――いったい何が……?
当時のベイスターズは万年最下位で2軍の選手なんて知らない人ばかり。なのに、僕の前で並んでいた先輩キャッチャーの(齋藤)俊雄さんや黒羽根(利規)さんから見たことのないセカンド送球が放たれて。
(ホームからセカンドまで)約38メートルもあるのにあまりにも球が伸びすぎるから、セカンドに入ってた同じく高卒ルーキーのカジ(梶谷隆幸)が捕れずに手首に当ててましたからね。
キャンプ後の(2軍本拠地の)横須賀では、調整の遅れた石井琢朗さんとブレイクスルー直前の内川(聖一)さんが打撃練習をしていたんですが、考えられない弾道で右へ左へすべてホームラン。ふたりともホームランバッターではないのにですよ。
「これがプロなんだ……」と絶望したのを覚えています。