松本人志への本音

そんな松本人志は、11月1日スタートの有料配信サービス『DOWNTOWN+』で、活動を再開する。

「どうなるんですか?ってよく聞かれるんですけど、いや、知らんから(笑)。みなさんと一緒で、僕もどうなるか聞きたいですよ。でも、お声をかけていただけるなら、何も迷うことなく、ありがたくいかせていただきます」

ちなみに、松本人志からはいまだにものまねの公認はもらっていない。

「公認はないほうが僕もありがたいです。香取慎吾さんにも『本当にさ〜、服もカバンもあげてさ〜、番組も呼んで一緒にやってんのに〜、なんで俺のものまね全然似てないの〜?』と言われています(笑)。公認という言葉は、ビジネスとして営業の場では使いますけども、芸人としてはひとつもいらなくて。むしろ『許さへん』とかって言われているくらいがいい。理想は、相手の頭の片隅に僕がずっといて、決して交わらない『トムとジェリー』みたいな関係でいられることですね」

苦境に立たされてなお、前向きでいられるのは、「下積み時代に鍛えられた」からだという。

今のようにメディアに出るようになる前、JPは長らく、ものまねショーパブで働いていた。店の客に「ものまね」を披露することで、芸を磨き続けてはいたが、あくまで水商売。そこは芸能界ではなく、いわゆる夜の世界だ。店で客として知り合った“社長”たちとも仲良くなり、頻繁に飲みに行った。

「今でいうギャラ飲みですね。社長に呼び出されたら15分で駆けつけられるように、港区に住んで、毎日ジーパンを履いたまま寝ていました。芸人を目指している時点でギャンブルなんだから、借金しながらでもアホみたいに高い家賃の部屋に住んだほうが、人と違うエピソードができるし、僕にしか見れへん景色が絶対にあるはずやと思って、プライドを捨てるのではなく、逆にプライドを持って水商売にどっぷり浸かったんです」

夜の世界に浸かっていた23歳の時の宣材写真
夜の世界に浸かっていた23歳の時の宣材写真

無計画に水商売に溺れたわけではない。そこには確固たる意思があった。

「すべて売れるためのガソリンにしようと思っていたので、夜の所作は徹底していましたよ。男性用にブランドの靴下、女性用にヘアパックをストックしておいて、社長やその側近の誕生日を調べて持っていく。トイレ以外では絶対に携帯を触らない。だから、港区女子とかぬるいなって思います(笑)」

20代から30代は、風貌から言動まで“港区男子”を装い、夜の世界をたくましく生き抜いてきたJPだが、実は学生時代にひどいいじめにあっていた。その辛く苦い経験こそ、ものまねを志す原点につながっている。

#2へつづく

#2「きっかけはいじめ…ヤンキーから強制されて鍛えられた、ものまね」を読む

長年働いていた赤坂のものまねショーパブ「ノーブル」で取材に応えるJPさん
長年働いていた赤坂のものまねショーパブ「ノーブル」で取材に応えるJPさん
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取材・文/森野広明  撮影/塚田亮平