脱退をかけたくじ引きで、まさかの…

98年4月にリリースしたデビュー曲『Get down』から、99年8月リリースの『Selfish』まで、5作続けてオリコン初登場10位以内と、着実にファンをつかんでいった野猿。そんな彼らに悲痛な宣告が…。

6thシングル『夜空を待ちながら』発売の際、オリコン週間チャート1位にならなかったら1人脱退、5位以下なら2人脱退、10位以下なら解散と発表されたのだ。そして結果は6位だったため2人のメンバー脱退が決定。

抽選で赤玉を引いたメンバーが脱退とのルールの中、なんと、赤玉を引いたのはメンバー内でもとくに熱狂的なファンがついていた、メインボーカルの平山晃哉さんと神波さんだった。この結果にはファンもあ然…。

「あれは今でもいろんな方から、『ヤラセだったんでしょ?』と言われるんですが、本当にガチでふたりで赤玉を引いてしまったんです。もしかしたら、僕らふたりがボーカルとして騒がれたことで、引きが強くなっていたのかもしれません。

脱退が決まったときは思わず、涙がこぼれてしまったんです。ただ、それは悲しいという感情だけではなくて、これでやっと普通の生活に戻れる、という安心感もあったのだと思います。

それに僕が脱退しても、平山さんがいれば野猿は安泰と思っていたのですが、まさかの平山さんも赤玉を引いてしまって。実は収録ではカットされたんですが、あのとき僕は『なんで平山さんも赤玉引くんですか!』と、思わずブチギレてしまいました(笑)」

その後、紆余曲折あって野猿に復帰した神波さんだったが、野猿は2001年、約3年半にわたる活動に終止符を打った。

2001年に発売されたベストアルバム『撤収』。これが最後のCDリリースとなった
2001年に発売されたベストアルバム『撤収』。これが最後のCDリリースとなった

「解散後は、すぐに元の仕事に戻りました(笑)。僕、もともとはデザイナーを目指して、専門学校に通っていたんです。

ずっとやりたかったデザイナーの仕事をしていこうと思い、12年勤めた会社を退社し、E'dge(エッジ)というロックテイスト強めのブランドと、キングオブドリームスというサーフ系のスタイルを中心としたブランドを2社立ち上げました。

バランスよくいろいろな方に着ていただけるようにテイストを分けたことで、ありがたいことにご好評いただき、毎回完売していました」