〈前編〉 

家にひきこもり、酒を飲んで大暴れ 

縁野朝美さん(64=仮名)が介護の仕事を辞めたのは54歳のときだ。当時、32歳の息子と2人で家にひきこもる生活は3年ほど続いた。

「気持ちが落ちてるときってさ、何でもマイナスに捉えてしまい、息子がひきこもったのも私のせいみたいに思ってしまって。なんか世界中が自分のことを責めているみたいな気がして、世の中の全てが怖くて。買い物もマスクして夜中にこそこそ行ってました。

ただ、息子を守らなきゃって思いが強かったから、何かしら料理を作って、洗濯して掃除をして。息子がいなかったら、まともに生きてられなかった気がします。

私、ほんと、そのころの記憶がないんですけど、おかしなことを結構やってたらしくて、何度か家でお酒飲んで大暴れして、モノを壊したらしい。後から息子に聞いたら『とうとう頭がおかしくなったと思った』と言われたし(笑)」

縁野朝美さん(仮名)
縁野朝美さん(仮名)
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朝美さんがひきこもる前、息子も家で暴れた時期があった。25歳でひきこもり、30歳を過ぎても動く気配がない息子を「いつまでそうしているの」と責めてしまい、息子はストレスのやり場がなくなったのだろう。壁を殴って3か所も穴を開けたり、夜中にわめいたり大声でヘビメタを歌ったりして、近所から苦情が来たこともある。

息子と入れ替わるように朝美さんが暴れていた間、息子は黙って見守ってくれていたそうだ。

「お母さんは何が楽しくて生きてるの?」

ひきこもる朝美さんを動かしたのは、友人の娘からかかってきた1本の電話だ。友人が重症の肺炎になり生命維持装置につながれているという。朝美さんは自転車で一日おきに見舞いに行った。

「友人はICUに3か月いて、全然起き上がれない状態だったんです。手足のマヒも出たけど、すごくポジティブで『何とかなるから大丈夫』と言いながらリハビリを続けて、ちゃんと仕事にも復帰したんですよ。彼女を見守っているうちに、自分もこんなことしてちゃいけないって思った。1年間の病院通いが、私にとっても大きなリハビリになったんですね」

写真はイメージです(PhotoAC)
写真はイメージです(PhotoAC)

そうして朝美さんが外に出るようになると、息子が愚痴をこぼすようになった。

30年前に甥っ子3人を預かったときも、20年前に義両親の介護をしたときも、仕事がオーバーワークになったときも、「家族を後回しにして自分から苦労を引き寄せてきた」と責められたのだという。

「俺はそのしわ寄せを受けて貧乏くじを引いてきたって。自分がいかに我慢を強いられてきたのか、毎晩のように聞かされました」

ある日、息子にこんな質問をされた。

「お母さんは何が楽しくて生きてるの?」「何か好きなコトはないの?」

写真はイメージです(PhotoAC)
写真はイメージです(PhotoAC)

朝美さんは何も言えなかったそうだ。

「それまで、誰かに頼られると頑張れるみたいな生き方をしてきちゃったから、自分は楽をしてはいけないと思い込んでいたんです。人が楽しんでいるのを見ても、テレビの向こうのことみたいに感じて自分とは別世界の話だと思っていた。

それが息子の言葉で、『エエッ、楽しんでいいの?』って。自分の好きなことをしていいんだと、やっと気がついたんですね」