自分がひきこもってわかった息子の苦しさ

翌年、介護の仕事を再開した。別居していた夫と離婚して家の名義を自分に変えてもらった代わりに、生活費の援助もなくなり、貯金が尽きてしまったのだ。

息子に「生活費がなくなった」と話したら、以前渡した学資保険の200万円を手つかずのまま返してくれ、「自分のことは考えているから大丈夫」と言ってくれた。

朝美さんは知人に誘われて、ひきこもり家族会や居場所にも行くようになった。家を空ける時間が増えるにつれ、息子にも変化が見られるようになったという。

「ひきこもった最初のころは漫画なのか小説なのか、何か書いて投稿してたみたい。でも、仕事にはできなかったんだと思う。いらなくなったものを売ったりして小遣い稼ぎをしていたけど、私が外に出るようになったころから、ネットで何か真剣にやり始めていたみたい。全部ネットで自分でコツコツ勉強してね。

ときどき、『これから人と話すから2階に上がって来ないで』って言われます。それこそ風呂にも入らないで、黙々と仕事してる時期もあって、何でそこまでやるのと聞いたら、1回信頼をなくしたら終わりの仕事だからって。買い物とか役所の手続きも今は自分でやれています」

ひきこもった息子さんのことを話す朝美さん
ひきこもった息子さんのことを話す朝美さん

息子が変わった一番大きな要因は何かと聞くと、朝美さんは「母さんの部屋を頂戴と言われて譲ったことかな」と答える。言われてすぐ自分の荷物を1階に下ろし、2階を息子1人で使えるようにした。もともと2世帯住宅だったので、2階には小さな台所や冷蔵庫、トイレもある。

息子は自分の好きなペースで、気兼ねなく仕事をできるようになった。収入も安定したようなので、まずは家の固定資産税を、次にネットや2人分の携帯料金を、今は健康保険料も2人分一緒に払ってくれている。

「精神的な面で言うと、私が干渉しなくなったのが一番大きいと思う。息子がひきこもった当初は、自暴自棄になって死んじゃったらどうしようと心配で目が離せなかった。でも、それって、見張っている状態なんだよね。息子の部屋が2階の一番奥だったから、私の部屋の横を通って下に降りるんだけど、足音にも聴き耳を立てていたし。

見張られることが、どんなに苦痛かということが、自分がひきこもったことでわかりました。苦しんでいる息子を追い詰めて、さらに狭いところに押し込めていたのは、私なんだよね。

そこに気がつけるまで、ずいぶん時間がかかっちゃった。だから、ひきこもりの家族会では親が暗くならない方がいいですよと話しています」