両親の対応に「親のエゴ」と遺族は吐露した
青木被告の一家は、地元でも名士として知られている。被告の父親は、2014年に地元の中野市議員選挙で初当選し、事件当時は3期目の市議会議員だった。2022年からは、市議会の議長を務めていたが、事件翌日に辞職願が提出された。
一方の被告は、地元の県立高校に通い、一浪の末に都内の大学に進学。しかし、周囲から悪口や「ネットいじめ」に遭っているとの妄想を抱くようになり、ほどなくして大学を退学した。実家に戻った後は、家業の農業を手伝い、自身の名前を冠した果樹園「マサノリ園」を運営していた。
さらに事件の1年前には、両親がオープンさせたジェラート店で経営を任される。同年から、中野市のふるさと納税の返礼品としてジェラートや果物を出品するなど、かなり繁盛していたようだ。
事件前には、同店の確定申告など事務作業もこなしていたというが、妄想癖は悪化の一途を辿る…。
事件の約9か月前、被告はジェラート店に居合わせた父親の面前でアルバイト男性にいきなり殴りかかるというトラブルも起こしていた。証人として出廷した父親は、当時の様子を質問されると、「(息子は)非常に激高して、鬼の形相になっていた」と述べるほどだ。
2014年、青木被告は猟銃の免許を取得。次第に、事件への片鱗を見せるようになってきた。
翌年以降も、散弾銃や空気砲などを3丁、弾薬やクロスボウ、犯行に使用された「ボウイナイフ」なども購入した。
徐々に武装化していく息子に、両親は一抹の不安を感じていたという。
「『ライフル持っているんだから、暴力なんてしたら、お父さんも不安だ』と伝えたら、『銃を持っているみんなにも迷惑がかかるから、そんなことするわけないだろう』と冷静に答えたので、安心しました」(父親の証人尋問から)
「一過性の心の病と理解して、家族の愛情で元に戻るだろうという素人の考えでした。親の愛情で治ると思っていました」(母親の証人尋問から)
「愛情でどうにかなる」。そう自らに言い聞かせていた両親は、被告が「統合失調症の可能性がある」と示唆されても、精神科の受診や治療を受けさせることはなかった。
こんな両親の対応に、被害者遺族は意見陳述で「凶器がすぐ手に取れる環境で、事件を予測できなかったのか。なぜ毎日顔を合わせていた息子の変化がわからなかったのか」と憤りをあらわにした。
そして、別の被害者遺族はこう言った。
「親のエゴや自分たちの見栄を気にして、本当に家族の愛情で病気を治そうとしていたのですか」