「自分の意見を言う権利はない」と思っていたアイドル時代 

「会議室で社長に解散を告げられて、鼻血が止まらなかったのを覚えてます。当時は血のめぐりがよかったのか、よく鼻血を出してたんです。でもその日は大量で……拭くのにティッシュを箱半分くらい使って、社長も引いてましたね(笑)」(ソニン。以下同)

19歳の頃だった。3rdシングル『おっととっと夏だぜ!』がオリコン初登場5位となり、飛躍のタイミングだったEE JUMP。しかし、相方の相次ぐ不祥事により翌月に迫っていた1stアルバムは発売中止となり、ユニットは解散。ソニンも窮地に立たされた。

「でも、このまま辞めて地元に帰るという選択肢はありませんでした。だって、デビューして1年半ですよ。親をそれなりに説得して芸能界に入ったのに、逃げ帰るようなことはできなかった」

SPEEDのライブにカルチャーショックを受けて芸能界に入ったソニンは、思えば幼い頃から負けん気の強いタイプだった。親戚とカラオケに行った際、おばさんから「音がズレてるよ」と指摘されれば歌を猛練習。学校でも勉強のできる子だけに優しい先生の鼻を明かすために、テストでクラスでひとりだけ100点を取ったこともある。

EE JUMP解散時、スタッフに「ソロでやっていくのはキツイんじゃないか」と言われたことも、あるいは彼女の燃料となったかもしれない。

15歳、パティシエを目指していたソニンはSPEEDのライブを観て「高知の田舎育ちの自分が今まで見たことがない世界がそこにあった」と衝撃を受け、歌手を目指すことを決意
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しかし、ここからが苦難のリスタート。モーニング娘。の追加メンバーオーディションを受けていたソニンをEE JUMPに加入させた、ソニンのマネージャーで所属事務所ハーモニープロダクションの社長だった和田薫氏は、ソロで再始動する彼女に次々と試練を与える。

音楽バラエティ番組「うたばん」(TBS系)では、和田社長も名物マネージャーとして出演。ソニンに「570キロマラソン」「6万個1人ドミノ倒し」という過酷な企画に挑戦させた。

「(企画について)疑問には思わなかったです。芸能界を生き残るためにはそうするしかないと思ってましたから。それにあの時は自分の実力で何かを成し遂げたことはなかったし、事務所のおかげでメディアに出られて楽曲もリリースできてるって気持ちが強かったので、自分の意見を言う権利なんてないと思ってましたね」