リベラル陣営の“ドン”から寵愛を受けていた小川市長
“泣いて相談する姿”を見られないようにラブホテルに通ったと弁解する小川市長は、問題発覚後の市議らへの説明の場などでも涙を浮かべている。
だが、口論になると泣いて論点をうやむやにしたり、出席した会合で面識のない人が亡くなった話を聞いて泣き出したりしたと群馬県議が証言するなど、小川市長の涙の意味は他の人とは違う気配がある。(♯8)
これほどよく泣くのは「周囲が甘やかしてきたからですよ」と話すのは、小川氏を3期続けての群馬県議と前橋市長に送り出した立憲民主党のAさんだ。
「群馬県には参院副議長を務めた角田義一さん(昨年2月に死去)がリベラル陣営の重鎮として長年君臨してきました。小川さんは県議の時、弁護士だった角田さんの事務所へしょっちゅう行っては説教されて泣くことで有名で、『また泣いてたよ』という話をよく聞いたものです。
その角田さんは、小川さんが県議として苦しい時はいつも助けに入っていて、言ってみればだいぶ甘やかされていたわけです」(Aさん)
別の立民関係者のBさんによると、そうした“ドン”の寵愛を受け、20代後半から30代を県議として過ごした小川氏に立民や支持母体の連合の幹部は“メロメロ”だったという。
「県議時代の小川さんは、連合のエラい人たちの呼びかけで“お誕生日会”の飲み会まで開かれていたんですよ。もちろん、立民の他の県議や市議でお誕生日会なんかやってもらった人はいません」(Bさん)
こうしてもてはやされながら小川氏は政治家としての“ランクアップ”を望むことを隠さなかったという。そして昨年2月の前橋市長選に狙いを絞ったというわけだ。
その市長選を知る立民関係者Cさんは「周囲の人は小川さんの出馬にほぼほぼ反対しました。小川さんは若い、というより経験が追い付いていない、というのが理由でした」と話す。
ここで小川氏がまた頼ったのが角田氏だった。
「選挙前の候補者を検討する会議の冒頭で、小川さんが例によって涙を流して“私が出たいんです”と言い始め、それを受けて角田さんが『やるしかないな』みたいなことを言ったので、小川さんが候補者になったのです」(Bさん)
結局、保守王国群馬県の県庁所在地で小川氏は市長選を勝ち抜く。だがこの時、立民に好条件が重なっただけでなく、小川市長自身も追い風をつくったことは事実のようだ。
「当時3期務めた自民系市長が4期目を狙って出馬し、小川さんとの一騎打ちになりました。このとき、自民党市議団の中では、前市長派で故福田赳夫元首相の流れをくむグループと、故中曽根康弘元首相の流れをくむ派閥の争いが激化し、中曽根系の一部市議が小川さんについたんです」(自民党市議)