「新聞少年勘吉の巻」(ジャンプ・コミックス第103巻収録)

今回は、両さんが小学生だった頃の、新聞配達にまつわる思い出話をお届けする。

小学生で新聞配達のアルバイトと聞くと、「流石は両さん、子どもの頃から金儲けか!」と思われるだろうが、かつて少年新聞配達員は、決して珍しい存在ではなかった。第二次世界大戦中に大人に代わって子どもが配達を担ったことに端を発し、戦後も、少年は安価な労働力として新聞販売店にとって貴重な戦力であり続けたのだ。労働省や文部省も「修学に差し支えない範囲で」との前提で、これを認めていた。

なお『こち亀』作者の秋本治先生は、中学生時代に新聞配達をしていた時期がある。本作中の両さんと同じく、郵便配達をしている友だちにくっついていって、楽しそうなので自分も夕刊の配達をはじめたとのこと。

本作の元ネタは、なかば作者の実体験だったわけだ。ただし治少年が、本作の両さんと同様に美人のお姉さんと知り合いになったかどうかについては、定かではない……。

また新聞配達と並んで昭和の朝には、牛乳配達が欠かせなかった。大型の紙パック入り牛乳がスーパーなどで販売されるようになる以前、牛乳は専門の販売店が毎朝、ガラス製の牛乳瓶を並べた箱を荷台にくくりつけた自転車に乗って配達していたのだ。

各家庭には販売店が提供した木製の牛乳箱があり、牛乳瓶が揺れるカチャカチャという音と自転車のブレーキ音が聞こえると、お母さんや子どもが箱に入れられた牛乳を取り出すのだ。

こちらは新聞配達と違って、現在ではほとんど目にすることはなくなってしまったが、昭和の朝の懐かしい光景だ。とはいっても、実は牛乳配達は現在でも生き残っている。ヨーグルトドリンクや健康飲料系の宅配専用商品を中心に商っているという。受け取り用の箱は保冷効果の高いプラスチック製に、瓶は軽くて強度の高いものに、蓋は紙製からポリキャップへと、仕様も進化している。

「今だから白状(バラ)す子供時代の話 勘吉少年始末書」(ジャンプ・コミックス第192巻収録)より。1970年くらいまでは、給食の牛乳も瓶入りだった。まだ、連載初期の両さんが駄菓子屋などで飲んでいた牛乳も瓶入り
「今だから白状(バラ)す子供時代の話 勘吉少年始末書」(ジャンプ・コミックス第192巻収録)より。1970年くらいまでは、給食の牛乳も瓶入りだった。まだ、連載初期の両さんが駄菓子屋などで飲んでいた牛乳も瓶入り

それでは次のページから、少年勘吉の新聞配達エピソードをお楽しみください!!