「私は日本一の幸せ者かもしれないです」
約1年間、セコンド兼マネージャーを務める中で幼少期の夢は膨らんでゆき、一念発起。2002年10月にレスラーとしてリングに立った。いろんなことに挑戦するも長続きしない印象だった松野だが、プロレスは64歳となった今も続けている。
「去年は引退も考えていたんですが。今年の1月の大きな試合ですごい拍手をいただいて。SNSでも『感動した』など、たくさん書いていただいて。同じ世代の方や辛い思いしてる人が少しでも元気になるのであれば、もう少し続けてもいいなと思い始めました。もちろん、無理しない範囲で。やっぱりね、還暦を過ぎると体力やモチベーションはガクンと落ちるので。今のトレーニングは週1ですが、2時間かけて全身をくまなく鍛えています」
と、充実の笑顔を浮かべた。波乱万丈、紆余曲折の人生を歩んできた松野に尋ねてみた。もし、タイムマシンがあったらいつに戻って人生をやり直したい?
「まったくないですね(笑)。過去よりも先しか見てないので。今のこの状況が幸せだと思っているので。パートナーの田代(純子)の病気も横ばいで安定していますし。月命日の両親のお墓参りでは“今月も何事もなくて来れた。非常にありがたい”と手を合わせていますし。いろんな意味でやっぱり感謝をしてるので、過去に戻りたいって思いは全然ないです」
松野が口にした“幸せ”の真意について聞くと、
「私は日本一の幸せ者かもしれないです。だって、あんな騒動があって、普通だったら立ち直れないくらいノックアウトされて。でも、みなさんがいろんな救いの手を差し伸べてくださったから、何とか来られた。こんな幸せな人間は、世界のどこにもいないんじゃないかって思っていますよ」
酸いも甘いも噛み分けた松野の顔は、とても穏やかだった――。
後編ではパートナーの田代さんとの馴れ初めや、現在のお二人について話を聞いた。
取材・文/池谷百合子