芽生えた『青いベンチ』への責任感

――ちなみに、音楽活動以外の副業などは?

北清水 まったくしていないですね。副業に興味もないんでしょうね。それに、音楽以外にまともにできることがあるような気がしないので(笑)。おかげ様で毎年、イベントや学園祭など、日本各地からお声がけいただいているので。

奥山 やっぱりこの年になって、全国を回れるってなかなかないですから。

北清水 だから、お仕事をいただける限り、続けられる限りはやっていきたいです。

――さらに失礼な質問になりますが、“一発屋”と呼ばれることもあると思いますが?

北清水 自分でやっていながら思うけど、“ミュージシャンで食べていこう”とか“ヒット曲を出そう”とか“人に知ってもらいたい”なんて、本当に無理ゲー。実際にやってみて、なお思います。

その中で、『青いベンチ』っていう曲を残せたことは、本当に僕らの誇りと財産。それに対してどう言われようとも、まったく気にならないですね。それに“だったら作ってみたら?”くらいの気持ちで僕はやっているので。

もちろん、ヒット曲がたくさんあって、長く活動されている方は本当にすごいと思います。ただ、そんな方たちであっても『青いベンチ』は持っていない。あのサビを、みんなで大合唱するあのシーン、あの瞬間は自分たちじゃないと作れないと思っていますから。

奥山 一発屋という言葉は、きっと僕らと同世代の人が使っていると思うんです。逆に言うと、今『青いベンチ』を知ってくれた人にとっては意味のない言葉で。毎年、この曲を知ってくれる人がいる。今なお、若い子は“神曲”って言ってくれる。

同世代の人にとっては過去の作品かもしれないけど、『青いベンチ』は現在進行形なんです。もちろん、一発屋と言う人がいて当然だし、それは否定的なニュアンスを含んでいるんでしょうけど、全然ネガティブに捉えてはいなくて。令和の高校生が歌ってくれているシーンを見ると、本当にこの曲は今を生きているって感じますね。

北清水 手前みそにはなりますが、『青いベンチ』のような愛され方、残り続け方をする曲ってなかなかないと思うんです。そんな誇りに加え、遅いかもしれないんですけど、作品に対する責任感がどんどん芽えてきて。

その理由のもう1つに、僕がいくつか持病を持っていることもありまして。今すぐ命に関わる病気ではないですけれども、毎月検査はしていますし、強い薬も飲んでいます。回復が見込める病気ではないので、これ以上悪くならないように、うまい具合に付き合っていかないといけない。

そんなガタが来ている身体なんですけど、きちんとした歌声とパフォーマンスを届けられるようにしたいという思いは年々、強くなっています。

奥山 自分たちの年齢が上がってきたからか、1年1年が本当に早くて。これから何年続けていけるかなんて、わからない。ただ、いつなくなってもおかしくない職業だとも思っていて。不安はありますが、やり続けることでしか不安はぬぐえない。今は、ずっとサスケを続けていくことが夢ですね。

北清水 うん。今は本当にずっと続けていって、この曲を歌い続けていくことが、もう自分たちの使命というか、人生なんじゃないかって思っています。

この声が枯れるくらいに――。並々ならぬ思いを胸に、サスケは今日も歌い続けている。

サスケ(左から)奥山裕次、北清水雄太 撮影/齋藤周造
サスケ(左から)奥山裕次、北清水雄太 撮影/齋藤周造
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取材・文/池谷百合子