実業家になったのは「仲間を守るため」

1999年、多くの若者が口ずさむほど大ヒットした19の『あの紙ヒコーキ くもり空わって』。惜しまれながらも19は解散し、別々の道を歩むことになった岡平健治(現在はけんじとして活動、以降けんじ)、岩瀬敬吾、ビジュアルプロデュースと作詞を担当していた326。中でも最年少だったけんじは現在、実業家としての顔も持ち合わせている。

けんじがなぜ実業家としての道を選んだのか。それは好きな音楽を自分が好きなように続けるためだという。

「音楽の収入だけに左右されたくなかったんです。どうしても“業界の政治”っていうものがあって。そこに飲み込まれて、音楽を嫌いになったり、食べていけなくなったりするのは嫌だった。そういう仲間の姿もたくさん見てきたので、実業家として成功したほうが、バンドメンバーを守れるって思ったんです」

実業家になった理由は「仲間を守るため」と語ったけんじ 撮影/矢島泰輔
実業家になった理由は「仲間を守るため」と語ったけんじ 撮影/矢島泰輔
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音楽を嫌いにならないために、仲間を守るためにはどうしたらいいか……その答えは“自分で稼げる力”を身につけることだった。それからけんじは、投資を始めるようになったという。

「19の頃に稼いだお金を投資にまわしたんです。やっていくうちにだんだん軌道に乗り始めて、気づいたら仕事が広がり、不動産や飲食、出版の事業も始めました。今いるこのビルも土地から買って建てたものなんです。正直、田舎で土地買って大豪邸に住むのもいいかなって思ったけど、やっぱり仲間のことを一番に考えたかったから、東京にビルを購入しました」

音楽家と実業家――まったく別の道へ進んだように見えるが、原動力は常に「誰かのため」。その人に対しての想いは違う業種でありながらも変わらなかった。