他己肯定を求める若者たち
成長神話がウソとも言い切れないのは、若者自身が「他者との比較における不安」を吐露するからだ。若者を象徴するフレーズとして「ありのままでいたい」と「何者かになりたい」がある。
「ありのままでいたい」とは、まさに自分が自分らしくあるということだ。個性の尊重と発揮、自然体、他人に押し付けられないといったフレーズと密接である。
「何者かになりたい」は成長とも関連している。誰しも他者と比べて特別な存在になりたいのである。やや下火になってはいるもののSNSでいいねを求める傾向、「インスタ映え」という言葉が生まれた背景でもある。
昨今、自己肯定感という言葉がよく用いられる。通俗的な自己肯定感とは実質的に「他己肯定感」であろう。他人に認められることではじめて自分を肯定できるのだ。行きすぎると、他人に認められないと自己を肯定できなくなっていく。
若者のインスタ利用について調べたとき印象的な回答があった。
「イケてるグループに入ってはいるけど、イタくないというのがめっちゃ大事で」
肯定される側にはいなきゃダメだけど飛び抜けたらダメなのだ。本当かはわからないけどみんなが成長したいって言うなら自分もする側じゃないといけない。ただ別に本気ではない。成長できるっぽい気がすればそれでいい。
成長「実感」は実に便利な言葉である。実感に成長は必要ない。それっぽいワンデー研修で成長を実感することはたやすい。ただ現実的に1日で人は変わらない。
成長と成長実感の明確な違いは時間軸である。成長にはとても時間がかかる。初期にはコストに見合う成果が出ないことが多い。
「石の上にも三年と言うが最近の若者は三年待てない」みたいな話がよく聞かれる。これは、明確に若者側が間違っている。キャリア全体を見通したとき三年は短すぎる。三年で達成し完遂できる程度の成長は、キャリア全体で見れば些末である。志が低いならいいのだけど。
もちろん、特に若いときの三年はめざましい成長「率」をもたらす。ただ成長という時間のかかるものを念頭に置いておきながら「三年も待てませんよ、われわれは成長したいので」などと言うのは単純に自己矛盾である。













