アメリカはなぜ例外主義をやめないのか
三牧 アメリカは歴史的に見ると、かなり極端な対外政策を追求してきました。建国当初はそれこそ「我々は素晴らしい国なので世界には関わらない」ということで、世界に対する孤立主義をとっていた。それが二つの世界大戦を通じて、やはり世界はアメリカの介入を必要としているのだとして、世界の様々な地域に介入し、世界の警察官を自負するようになる。
孤立から介入へ、とこの二つの外交政策は真逆に見えますが、介入へと転換したからといって、「アメリカは素晴らしい」というマインドは変わらなかった。なので、世界との関わりも、「アメリカの素晴らしい価値を受け入れさせる」「アメリカの素晴らしい政治体制を輸出する」という一方向的なものになる。
世界の多様な国・地域から何をどう学ぶか、という逆ベクトルはほとんどない。結局、自国の優越を前提とする孤立主義的なマインドは変わらないまま、アメリカは世界への介入へと踏み切った。確かにトランプ政権になってアメリカはいよいよ国連や多国間主義に背を向けていますが、「自分たちよりはるかに小さい国と平等なんて」という感覚は、アメリカで広く共有されており、決してトランプだけのものではない。
しかし、世界の多様性への敬意を欠き、国内はどんどん分断して弱まり、アメリカは今、本当なら、民主主義がそれなりに機能している国から学ばなければならない状況です。しかし、なかなか「他国の成功から学ぶ」という発想へと切り替えられない。なぜなら、今までずっと「自分たちが一番素晴らしい」でやってきたから。「我々は素晴らしい」という意識が、問題を直視して他国から学ぶことを邪魔している。これがアメリカの政治社会の膠着の根本原因の1つだと考えています。
そうした意味で、左派の上院議員バーニー・サンダースは、アメリカでは稀な存在です。彼が掲げる「メディケア・フォー・オール」(国民皆保険)は、北欧の福祉国家をモデルにしています。他国の良いところを学び、取り入れようという政治家がこれほどの人気を得たこと自体、アメリカでは特殊な現象であり、もはやそうした現象が起きるほどにアメリカという国にはガタがきている。しかし、結局サンダースも既成政治の壁に阻まれて、大統領にはなれなかった。
李 アメリカのいろいろな国への軍事介入や内政干渉が、これまで問題にされなかったことにはいくつかの理由があると思うんですけど、内田樹先生も対談の時におっしゃっていたのが、サブカルチャーによる自己批判があったからだと。
ベトナム戦争が終わった後に、「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」「タクシードライバー」などの自己批判的な「アメリカンニューシネマ」と呼ばれた映画、他にも音楽や小説がいっぱい出てきて、「決定的にアメリカは敗北した」と世界に向けて総括した。
その後80年代になって、バックラッシュでマッチョな映画も生まれたりするんですけど、やはりアメリカという国には自由と開放性があって、「アメリカにいれば自国の戦争を批判することすらできる」というような。それは日本とかアメリカにいたら普通に思えることかもしれないですけど、実はそれができる国はかなり少ない。アメリカにはそういった「ソフトパワー的な魅力」というものがやはりあったと思うんですね。
ただ、それは徐々に失われていって、今では留学すらできなくなっている。そのように衰退の道を進んでいるアメリカですが、Z世代のサンダース支持のように、「アメリカも謙虚に学ぶべきだ」というメッセージが若い世代に響いているのだとしたら、まだ希望もあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか?
三牧 内田先生のおっしゃりたいこと、非常によくわかります。アメリカって大きな間違いをさんざん繰り返してきた国なんですね。中でも最大の間違いのひとつはベトナム戦争で、ベトナム側におよそ300万人もの犠牲者を出すという、大変な破壊と回復できないダメージを負わせてしまった。
ベトナムからアメリカが全面撤退した後、思想家ダニエル・ベルは「アメリカ例外主義の終わり」という論考を出して、時代の雰囲気を言語化しました。「アメリカの例外的で素晴らしい価値を広めるために、私たちが実際やってきたことは、この破壊と殺戮であった。アメリカは例外的な国家ではなく、深刻な過ちを犯すのかもしれない」、そのような自省が当時のアメリカには生まれました。
しかしこうした自省は根本的なものにはなりませんでした。1980年代に入ると、「Make America Great Again(アメリカを再び偉大に)」を掲げるレーガン政権が誕生します。ベトナム戦争という壊滅的な失敗ですら、アメリカの独善的な自画像を変えることはできなかった。結局のところ、「ベトナム戦争が示すように、確かにアメリカは度々道を誤ることがあるけど、自分たちで反省し、最後には軌道修正して正しい方向を歩めるのだ」というように、ベトナム戦争までもが、「アメリカ例外主義」を強化する言説に組み込まれてしまった。間違うけど修正できる、修正できる私たちは素晴らしいのだ、と。