一歩も動いてないのに、名前が変わりまくる

2003年には現オーナーのアルテューロ・モレノにエンゼルスの経営が移り、2年後にはより多くのファンを取り込みたいというマーケティングの観点から、名称を「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」に変更しました。より知名度の高い都市名を使ったのです。

しかし、このモレノの決定にアナハイム市が憤怒し、なんと訴訟にまで発展しました。このような紆余曲折を経て、2016年に今の「ロサンゼルス・エンゼルス」というチーム名になりました。

エンゼルスは、本拠地は変わっていないのにカリフォルニア→アナハイム→ロサンゼルスと10年間で2回も名前を変えた「落ち着きのない」チームでもあります。

球団経営は基本的には地域密着で進められるため、本拠地を変えることは相当な反発を地域から受けます。球団としてもできればしたくはないことでしょう。そんな中でエンゼルスが本拠地こそ変えていないものの、名前を頻繁に変えなくてはいけなかった事情を考えると、球団経営の難しさが想像できます。

大谷がいても観客動員数は減り続けた

モレノの名称変更もなかなか「成功した」とは言いづらく、エンゼルスがプレーオフの常連だった2000年代をピークに球場来場者数は下降傾向にあります。2006年が340万人だったのに対して、大谷のエンゼルス最後の年となった2023年は260万人ほどでした。

そしてロス在住者からしてみると、大変失礼ながらエンゼルスというチームは「へなちょこ」のイメージがあります。

とはいえ、そんなエンゼルスだからこそ、大谷はエンゼルスをMLBでのファーストキャリアに選んだのかもしれません。

大谷はエンゼルスに入団する前から、ドジャースから熱烈なオファーを受けていたと報じられています。高校時代からドジャースの日本担当スカウトは彼を追いかけ、熱意を伝えていたそうで、その後北海道日本ハムファイターズからメジャーに挑戦する際もドジャースは大谷獲得を目指しました。

それでも大谷がエンゼルスに移籍した理由の一つは、ベーブ・ルース以来となる「二刀流」の挑戦をしやすい環境がエンゼルスにはあったからです。つまりエンゼルスは強豪選手があまりいない弱いチームだからこそ、活躍の場を他の選手と奪い合うことなく、投手としても打者としても活躍できる環境だと計算してエンゼルスに行ったというのです。

チームが変わっただけでここまで扱いが変わるとは…

なぜエンゼルスはロスにないのに「ロサンゼルス」と名乗るのか…地元政府と訴訟沙汰に! 大谷翔平がいても観客動員数が減り続けた根本的問題_3

実際、ドジャースに移籍以降の大谷は、肘の怪我の影響から投手をお休みし、打者に専念しています(2025年4月現在)。ファンからは大谷の投手復帰を待ち望む声があがる一方で、現在のドジャースは超強力な投手陣を有していますから、ドジャースでは大谷が投手をしなくても大丈夫な状況です。

今やMLBのスターとなった大谷ですが、チームが変わっただけでここまで扱いが変わるのもなんだか不思議ですね。

文/岩瀬昌美

大谷マーケティング 大谷翔平はなぜ世界的現象になったのか?
岩瀬 昌美
大谷マーケティング 大谷翔平はなぜ世界的現象になったのか?
2025/7/16
1,375円(税込)
176ページ
ISBN: 978-4065406441

野球界と広告界、2つの世界を制覇した大谷翔平の秘密に迫る

大谷翔平のメジャーリーグでの活躍は毎日のようにニュースになり、多くの史上初記録を生み出しています。しかし、大谷の本当のすごさは野球界のみならず、広告界も制覇したことにあります。大谷は年俸を超える年間100億円もの広告を獲得し、今や日本では彼の広告を見ない日はなくなりました。そしてアメリカでも大谷翔平は社会現象となりつつあります。一体なぜ大谷は前代未聞の世界的熱狂を巻き起こしたのか、その背景にはいかなるマーケティング戦略があったのか――アメリカでマーケティングに携わる著者が、実体験を交えながら考察します。

*以下、本書目次より抜粋
まえがき ロサンゼルス在住マーケターから見た大谷翔平

第1章 誰が大谷翔平に熱狂しているのか

第2章 大谷はエンゼルスに何をもたらしたのか

第3章 エンゼル・スタジアムを彩った広告たち

第4章 ドジャース移籍で大谷のバリューはどれだけ上がった?

第5章 大谷翔平広告の批判

第6章 大谷翔平から見るアメリカ経済

第7章 大谷翔平をマーケティングで活かす方法

あとがき

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