ギャングに拉致され「ウキウキウォッチング踊れ!」
──当時は見た目もかなりインパクトがありました。
岸田 当時、いいとも青年隊はアイドルのイメージだったので、自分のようにガングロにドレッドヘアーのいわゆるギャル男はいなかったんです。髪型を変えたり、色を白くしないといけないのかな、と思っていましたが、まさかのそのままの出演でした。
当時ドレッドヘアのメンテナンスは難しくて、髪は1年に一回しか洗ってなかったんです。そしたらタモリさんが生放送中に『お前、頭くせーよ!』ってツッコんでくれて。その翌年から普通の髪に戻しました(笑)。
──岸田さんといえば、ゆっくりしゃべる天然キャラで、いつもレギュラーメンバーやタモリさんからつっこまれているイメージでした。あれはキャラだったのでしょうか。
岸田 いえ、あれは完全に素の自分でした。当時はテレビのルールや尺など何も知らない素人だったので、丁寧に読もう!と緊張してああなってしまったんです。時間内に何かを読み上げなければいけない、という経験もなかったので、もしあのまま社会に出ていたら生きていけなかったでしょうね。
──いいともで大ブレイクして、逆に困ったことはありましたか。
岸田 繁華街で1人でご飯を食べていたら、黒塗りの高級車からいきなり、カラーギャングっていう90年代に幅をきかせていた不良グループが出てきて、『おい、コラいいとも!お前ちょっと来い』と連れ去られたんです。
何をされるのかと思ったら車の中で突然、ギャングに『今からウキウキウォッチング踊れ!』と言われて。それで『お昼〜休みは〜ウキウキ〜♪』って、ギャングたちの低い歌声と手拍子で踊らされたんです(苦笑)。あれほどウキウキしないダンスはありませんでした。
その後も、『携帯出せ。芸能人の連絡先教えろ』と言われたんですが、当時はほぼ携帯に情報が入っていなくて。すると、ギャングたちもあきらめたのか、『もういいや、お前気をつけて帰れよ』と、解放されました。
田んぼと倉庫しかない場所におろされ、なんとかコンビニを見つけて駅までの道を聞いて自力で帰りましたが、あれは怖かったですね。
──ギャングにさらわれるほど顔が知られてしまったと。そうなると、当時の最高月収はすごい金額だったのでは。
岸田 最高月収はサラリーマンの方の初任給ほどでした。芸能界は自分の実力ではなく、周りの方がお膳立てをしてくれたからこそやっていけたと思っているので、もし身の丈に合わない金額をもらっていたら再起できなかったかもしれない。金銭感覚がバグることがなかったのは、当時の事務所のおかげと今も感謝しています。