繰り返されるガザへの退避要求

――萩原さんは著書『ガザ、戦下の人道医療援助』で〈ひとたび現場を離れれば、その地については語れない〉と記しています。それでも、あえてガザの惨状について筆を執った理由はなんでしょうか。

私が〈ひとたび現場を離れれば、その地については語れない〉と考えているのは、一歩その土地から出てしまえば、どんなにその地で苦しんでいる人たちについて思いを巡らせても彼らと同じように感じることが不可能だからです。

どれほど表現をつくしても、彼らの思いや苦境は代弁できません。国境なき医師団で活動するものとして、人道危機にある活動現場で目撃したことを証言することも、大切なことです。

しかし、世界のどこでも、人道危機を生み出している背景や理由はきわめて複雑で、単純に言い表すことはできません。とりわけ紛争地では、当事者それぞれに“正義”や“主張”があります。

場合によっては、患者や現場で活動する仲間の生命が脅かされたり、活動の中止や停止を余儀なくされることもあり、何万、何十万という人びとが医療へのアクセスを失うことにもなりかねません。

MSFで活動するものにとって、現在進行中の人道危機を証言することは決して簡単なことではないのです。言うは易し、しかし、その結果、医療援助活動ができなくなったとすれば、本来の使命を達成できなかったことを意味します。人道医療援助活動の現場はそのような“ジレンマ”に満ちています

たとえば、国境なき医師団は、2011年から始まったシリア内戦に際し、医療援助活動をすべく、当時のシリア政府と交渉を続けていましたが、2012年には認可が得られない状況で医療援助を敢行しました。

それを公にしたのは、しばらく経ってからのことでした。紛争地において、当時の政府から認可が得られていない状況での活動が、どれほど危険の伴うものなのか想像できるでしょう。

今回の紛争が激化して以来、ガザの人たちが置かれている状況は、人道、医療という側面から見れば、とても看過できるような状況にありません。度重なる退避要求は事実上の強制移動ともとれますし、一般市民の犠牲という意味では、集団的懲罰とも見なされ、非人道的行為と考えます。

現実に私がガザの地に足を踏み入れ目撃し、経験したことを公に伝えることは、私たちの証言活動の一環でもあります。

イスエラル軍によって繰り返されるガザへの退避要求、そして退避先へも攻撃…現地で“緊迫の6週間”を過ごした国境なき医師団・緊急対応コーディネーターの怒り_1
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――本書では、イスラエル軍が「人道的努力をしている」と主張していると書かれていますが……

そうですね。2023年11月、イスラエル軍は、ガザ地区をたくさんのブロックに分けた地図を公開しました。ブロックには数字が割り振られています。イスラエル軍はガザの人びとに対しブロック毎に退避要求を出し、軍事行動を始めます。

イスラエル軍に言わせると、それは人びとが身の安全を守るために退避をするための配慮らしいのですが…。

退避要求は、事実上の強制移動です。退避要求と軍事攻撃を繰り返されたガザの人たちは何度も避難を強いられ、イスラエルが「人道地域」と名付けたエリアに押し込められる。しかし、「人道地域」と言いながら、その地域内でさえ、実際はドローンなどでの攻撃は続けられる。

――人道と軍事行動。矛盾していますね。

国連によれば、イスラエル軍が設定した約41平方キロメートルの人道地域には、もともとの住民に加え、100万人以上の避難民が逃れています。

ほぼ面積が同じの江東区の人口は50万人弱。避難民だけでも倍以上の人が人道地域に逃れている。人道という言葉によって、何かを分かった気になってしまう人も大勢いるかもしれません。しかしこの状況が、人道的と言えるのか。

人道という言葉は、耳慣れて、わかったような気になっているけれど、明確な輪郭がつかみにくい言葉です。ガザの外にいる人たちは、そんな言葉によって想像力が奪われ、現実味が感じられないこともあるのではないかとさえ思うことがあります」