対話を大事にする「アラブの逸話」
――ブロック分けしたエリアに通告したあと、ドローンやミサイルで攻撃する……。まるでディストピア小説のようで、報道で接しているだけではリアリティが追いつきません。
ウクライナでもドローンが使われていましたが、遠くに見えました。一方でガザでは直接見たわけはありませんが、ドローンは近くを飛んでいました。ドローンが発する「ブーン」「ブーン」という音で位置や距離を判断するんです。
というのも、ドローンが近くにいるかもしれないと思って目視確認しようなどというのは危険極まりない行為なんです。自分が攻撃の対象にもなりかねないからです。ですから音だけで判断するしかないのですが、ある時は、あたかも私たちが寝ている部屋の窓のすぐ外いるのではないかと思うほどの近距離から音が聞こえていました
そんなときは銃口を突きつけられているような気がして眠ることもできず「前線から数キロ離れた場所で活動したウクライナとは違う、自分自身が軍事攻勢の真っただなかにいるんだ」と実感しました。

――そうした極限の状況のなかで、現地スタッフをふくめた多国籍のメンバーをまとめる上で心がけていることはありますか?
私は現場の責任者ではありますが、医療の専門家ではありません。だからこそ、自分が完璧ではないという前提に立ち、スタッフと対話をします。1000人のスタッフがいたら、1000通りの異なる考えがあります。意思疎通する上で、重要なのが、日頃からスタッフたちの声に耳を傾けて、彼らの考えを理解し、私の意見を正直に伝えて、みんなと共有すること。
私は、長年中東やアラブ地域の人たちとかかわるなかで、人と人とのコミュニケーション、組織のマネージメントなどさまざまなことを学んできました。
日本や欧米ではアラブ世界について、”独裁や強権”というイメージを持つ人がいるかもしれません。でも、実は人と人との対話をとても大切にするんです。
国境なき医師団の活動をする上で、もっとも重要なことの一つに、現地コミュニティとの対話があります。これは紛争地やアラブ地域に限ったことではありません。外からやってきた私たちが、現地を正しく理解、把握しなければならないのは当然で、それを教えてくれるのは現地の人びとだからです。
どこの活動地でも、現地コミュニティとの対話を通して学んだことは、数え切れません。とりわけ氏族・部族制が今なお根づいているコミュニティとその長から学んだことは私の財産でもあります。私が出会った氏族・部族の長の中には、信望と崇敬の念を込めて”ワイズマン”(賢者)と呼ばれ、信望を集めている人もいました。
イエメンで出会った部族長は、まさに”賢人”と呼ばれるような人でした。幾日もかけて個々のコミュニティのリーダーの言い分に辛抱強く耳を傾け、事実関係を冷静に整理し、それぞれの利益を踏まえ、最終的には、参加者全員が受け入れられるような結論を導きだす。
各々の参加者は、100%自分の言い分が通らなくても、長が出した結論を”最後の言葉”として受け入れる。その部族長は私にこんな話をしてくれたことがありました。
「2隻の舟で海に漁に出るとするだろう。1隻には1人の日本人。もう1隻には20人のアラブ人。
アラブ人が乗った舟はまず漁場をどこにするかで揉める。次に釣具を使うか、網を使うかで揉める。そのあとは誰が網を仕掛けるかで揉める。最後にやっと捕った1匹の魚をどう配分するかで揉める。その間に、1人の日本人は20匹の魚を捕獲する」
それが、アラブだ、と笑っていました。たしかに、氏族・部族制が根づいている社会での話し合いや交渉では、こちらが準備したり、想定していた”落としどころ”とはまったく異なる形で決着がつく場合があります。
中東、アラブ地域で現地コミュニティとの対話を通して積み重ねた経験が、ガザの社会を理解する上で自分の助けになったのは確かです。
しかしながら、それでもなお、はっきりとした輪郭がつかめなかったのがパレスチナ問題であり、今、ガザの人びとがおかれている問題の本質は何なのかということでした。それは今に至っても同じです。
今回、ガザの地を踏み、ガザの人びとが直面している一つ一つの問題を目にし、”なぜ”という問いを繰り返し、報告書や文献を調べたりしながら、問題の輪郭だけでもつかもうとしました。
しかし、今だにつかめずにいます。ただ、ひとつだけ気づいたことがあります。それは、私が目にした一つ一つの問題、ありとあらゆる問題は政治化されているということです。
冷徹で非情な上、身勝手で矛盾に満ちた国際政治や外交に翻弄されているのが、ガザの人々なのだ、と。
――今後のパレスチナ問題、ガザ地区をどうごらんになっていますか?
ガザに対する願いは「停戦」その一言に尽きます。いまのガザの現状を踏まえると、そこには、人道とか命とか尊厳といった考え方が入る余地さえなくなってしまっているとさえ考えます。
それぞれに主義、主張、正義はあるのでしょうが、今求められるのは、10年後、20年後に日の目を見るかもしれない平穏よりも、今ある生命をつなぐことであると思うのです。
構成/岡田裕蔵 撮影/村上庄