現代医学の礎を築いた男が、自らのイチモツで確かめたかったこと
おちんちんを使った実験に関して、忘れてはならない男がいる。イギリスの外科医・解剖学者である、ジョン・ハンターだ。
「実験医学の父」と呼ばれる彼は、文句なしに偉人だ。彼の功績は多岐にわたるが、たとえば、医療効果の実験をやったことはそのひとつだ。「医療の効果を検証する」という現代の常識は、彼が生きた18世紀にはまだ存在していない。当時は、効果の検証がほとんどなされないまま、「とりあえず水銀を飲んでみる」などの意味不明な治療が行なわれ続けていた。
そんな中、彼は独自に「医療効果の検証をしよう」と思い立ち、患者にパンを丸めて作った偽薬を与えた。偽薬を与えても水銀を与えても同じように治ることを確認し、水銀には医療効果がないと示した。これはまさに現代の対照臨床試験の萌芽だ。呪術の域を出ていなかった当時の医療の世界に科学を持ち込んだ、革命的な功績だと言える。
単に実験しただけではなく、たどり着いた結論の数々もすごい。彼は当時支配的だった、効果がない(どころか有害である)治療法を次々に否定してみせた。「瀉血(しゃけつ。血を抜くこと。多くの病気に効く治療法とされていた)」だの、「不必要に行なわれる外科手術(しかも、昔は消毒という概念がなかったので、感染症で術後によく死んだ)」だのを否定して、自然治癒の重要性を説いた。18世紀の人なのに、まるで現代医学を学んだかのようだ。
それほどの偉人なのに、一般的な知名度は高くない。なぜ彼はそれほど有名でないのだろうか? これは私見だが、その理由もやはり、「おちんちんを使った実験」で説明できる気がする。
かつて彼がいたロンドンは、華やかなる売春の都だった。男性5人に対して1人の割合で売春婦がいた。そして売春の都につきものなのは、性病である。
ジョン・ハンターの元にも、次々に性病の患者がやってくることになった。彼を突き動かしたのが社会正義なのか知的好奇心なのかは定かでないが、彼は、性病のメカニズム解明に精力的に取り組んだ。
当時、ロンドンで見られた代表的な性病はふたつだ。淋病と梅毒である。淋病は性器から膿が出るありふれた病気であり、梅毒は全身に腫瘍が現れながら身体を蝕み続ける恐ろしい病気だ。当時の医師の多くは、「このふたつは同じものなのではないか?」と考えていた。淋病の症状が全身に広がっていくと、それが梅毒になるのではないか、と。
科学的な実験と観察を重んじるジョン・ハンターは、この仮説を検証したくなった。淋病に感染した人の症状の進行を、精密に観察したい。仮説を検証するには、淋病の症状をじっくり観察して、その中に梅毒の徴候があるかどうかを確かめればよいからだ。
だが、ここで一点問題が生じる。この世に、気楽に毎日観察できるペニスはほとんどない。自分のプライベートな部位を好んで見せたい人はあまりいない。
ということで、彼が取った解決策は、皆さんもうお分かりだと思う。ジョン・ハンターは自分で淋病に感染してみることにした。テキトウな淋病患者の膿を採取して、自分のペニスを傷つけてから膿を傷口に塗り込んだ。すごい信念だ。常人なら「気持ち悪いから絶対やりたくない」と思うはずだけれど、彼はやってのけた。その覚悟に痺れずにはいられない。
さて、その後どうなったか。すぐに淋病の典型的な症状(ペニスのかゆみや膿)が出始めた。ここまでは予定通り。肝心なのはこの後、梅毒の徴候が見られるかどうかだ。結果から言うと、10日もすると、彼の身体に梅毒特有のしこりが出始めた。
彼は「やはり私の仮説は正しかった!」と大喜びしたに違いない。自分が極めて危険な病にかかったことよりも、「淋病=梅毒」仮説を検証できた喜びの方が大きかっただろう。
残念だが、この結論は間違っていた。淋病と梅毒はまったく違う病原菌によるものだ。淋病と梅毒の症状が一緒に出たのは、膿を採取した患者が淋病と梅毒の両方に感染していたからである。ジョン・ハンターは実験医学を確立した偉人だが、こういう失敗も避け難く犯している。実験は本当に難しい。
彼はしばしば「サンプル数の少ない実験結果から一般化した結論を導きすぎる」という批判を受けてきた。この批判はある程度正しい。実際、梅毒についての彼の結論は間違っていたのだから。