おちんちん実験は英雄譚にならない
梅毒については間違った結論を出してしまったけれど、だからといって彼の功績が霞むワケではない。彼は医療の歴史を一人で100年進めたと言っても過言ではないだろう。世界で初めてヒトの人工授精に成功したのは彼だし、四肢を切断するしかなかった動脈瘤の手術法を確立したのも彼だ。誰もやっていなかった対照実験も動物実験も、彼だけがやっていた。
これほど素晴らしい功績があるにもかかわらず、ジョン・ハンターの名前があまり知られていないのは、彼の情熱を端的に表すエピソードがおちんちん実験だからではないだろうか。彼の功績は数多く知られているが、実験を何よりも重要視した精神性と情熱を最も反映したエピソードはやはり「おちんちんに淋病患者の膿を塗り込んだ」である。
だから、ジョン・ハンターの名前は人口に膾炙(かいしゃ)しなかった。先に述べた通り、おちんちん実験の話は口に出しにくいため、伝播しづらい傾向がある。淋病が梅毒にならないのと同じく、おちんちん実験は英雄譚にならないのだ。ガンディーは「塩の行進」とかが一番のエピソードなので英雄になったが、ジョン・ハンターは「おちんちん実験」が一番のエピソードなので英雄にならなかった。運命のいたずらである。
おちんちん実験を語り継いでいく覚悟
僕はお仕着せの聞き飽きた英雄譚ではなく、人知れず歴史の闇に眠っているおちんちん実験の物語の方を聞きたいと思っている。おちんちん実験の物語がたくさん語られるような、そんな世界になればいいと思っている。
でも、世界に望んでいるだけなのはカッコ悪いから、まずは僕が変わろうと思う。
「わたしの生涯がわたしのメッセージです」という例のガンディーの教えにしたがって、まず僕が積極的におちんちん実験の物語を語ろうと思っている。
次に誰かに会ったときは、本稿に入り切らなかったおちんちん実験のことを語ろう。たとえば、おちんちんをハチに刺されたときの痛みを記録したマイケル・スミスの話とか、学会で勃起薬の効き目を説明するために演壇でパンツを脱いで見せたブリンドリーの話とか。
もしかしたら相手に顔をしかめられるかもしれないけど、それでもめげずにおちんちん実験の話をしていこうと思う。嫌われても怒ったりせず、だけど場の空気には従わずに。
それが僕なりの、非暴力・不服従なのだ。
文/堀元 見