ガンディーは性行為をしていて父の死に目にあえなかった

わたしの生涯がわたしのメッセージです
マハトマ・ガンディー

マハトマ・ガンディーはエリート弁護士だったが、私有財産のすべてを捨ててインド独立運動に身を投じた。「非暴力・不服従」を世界に説く彼は、まず自分が生涯をかけて実行してみせたのだ。6回も投獄されながら決して暴力を使わず、しかし服従せずに戦い続ける彼の人生は、美しい英雄譚として語られる。

理念は言葉ではなく、自分の人生で、自分の身体で実行して示すべきなのだ。それを表す言葉が冒頭の、「わたしの生涯がわたしのメッセージです」なのだと思う。言い換えるのなら、「自分の身体でやってみろ」だ。

インド独立運動に関するガンディーの英雄譚を耳にする機会はしばしばあるが、彼のもうひとつの功績についてはあまり語られない。禁欲実験である。

彼は、36歳から一切の性行為を拒む禁欲(ブラフマチャリヤ)生活を始めており、妻とさえ性交をしなかったらしい。

なぜそんな生活をするのか? 様々な要因がありそうだが、心理学者のエリク・H・エリクソンの指摘によれば、ガンディーが若い頃、父を亡くしたときの出来事が関係している。彼は末期の病床にあった父を懸命に看護していたが、ちょっとだけ休憩して妻とセックスを始めてしまい、その間に父が亡くなって死に目に会えなかったらしい。そりゃ反省するわ。

このエピソードからも分かるように、若い頃のガンディーはそこそこ性欲が強かったようだ。我々のイメージとだいぶかけ離れている。

っていうか、「若い頃」に限らないかもしれない。あまり知られていないガンディーの逸話として、「晩年、毎日のように若い女性を全裸にしてベッドを共にしていた」というのがある。とんだスケベオヤジやんけ。

写真はイメージです(画像/Shutterstock)
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この点について、ガンディーは最初「え? そんなことしてないよ?」と否定したが、後に「まあたしかに全裸の女性と寝てるけど、それは禁欲の実験だよ。エッチな気持ちはないよ」と言い訳したようだ。なんで最初ウソついたん??? 怪しすぎん???

そういうことで、ウソかホントかはイマイチ判然としないが、ガンディーは「禁欲実験」をしていたらしい。「怪しすぎん???」と書いておいてなんだが、本稿では彼の主張を信じることにしよう。ガンディーはストイックに禁欲するための実験として、全裸の若い女性を隣に寝させていたとしよう。

そうだとすると、これはたしかに立派な実験かもしれない。普通は興奮してしまうところを、ムリヤリに理性で欲を抑え込んで、平静を保つ。この間に得られる発見や忍耐力が、ガンディーの活動を支えたのかもしれない。だいぶ好意的に解釈している気もするが、そう考えられなくもない。

しかし、仮にこれが立派な実験だったとしても、有名になることはない。ガンディーはイギリスによる支配を止めるべく戦った英雄なのであって、おちんちんの興奮を止めるべく戦った英雄ではない。

なぜこの実験は有名にならないのか? インド独立運動でのガンディーの勇姿と同じく、「自分の身体でやってみろ」という哲学が感じられて美しいのに。

それは、自分の身体の中でも、特におちんちんを使った実験だからだ。実は、「おちんちん」を連呼していい場所は地球上にあまりない。基本的に、おちんちん実験の話は公の場で語ってはいけない。教室や職場はもちろん、公園や飲食店でも(そして本来、新潮社の刊行物でも、集英社のニュースサイトでも)。

ガンディーの事例から、我々は普遍の真理を学ぶことができる。「自分のおちんちんを使った実験の話は、英雄譚になりにくい」ということだ。それが「自分の身体でやってみろ」的な最高の物語であったとしても。