いま必要なのは「知性と近代の奪還」
――まさにゼロ・イチ思考ですね。
内田 そうなんです。でも、これは本当に人間の知性に対する冒涜だと思います。現実を理解するのって、こつこつと汗をかいて、自分の身体を使ってやるしかないことなんです。段階的で、漸進的なものなんですよ。
だから、「レッドピルを一粒飲んだら、世界の真実がすべてわかった」なんていうのは単なるイデオロギーなんです。人間の成熟というものを全否定する思想です。人間が変化し成長するということそのものをまったく信じていない思想ですね。それが僕にはとても危うく見える。
「私の言うことを信じれば、世界の真理が開示される」というのは宗教なんです。知性の働きではなく、うるわしい信仰です。いまテクノ封建制を主導しているイーロン・マスクとかピーター・ティールのような人たちは新興宗教の教祖だと僕は思いますね。
彼らの世界観ってとても単純なんです。一方にはすべての善があり、一方にはすべての悪がある。世界は単純に二極化されている。そして、人々に「お前もこの『善の側』に来い」と誘いかける。
でもね、そういうタイプの稚拙な世界理解って、これまでも何度も何度も現れては消えてきたものなんです。泡のように出てきては消え、また出てくる。そういう泡沫のような思想の盛衰を僕たちはもう何度も見てきたはずなんですけれどね。
テクノ封建制を支えている、あるいはそれを加速させているイデオロギーは――バルファキス自身はそこまで明確には書いていないんですが――「反知性・反成熟」のイデオロギーだと僕は思います。「反近代」と言ってもいい。
それに対してバルファキスは、はっきりと「ノー」を突きつけ、知性と良識の奪還を目指している。それは「近代の奪還」、つまり適切な社会契約に基づいた近代市民社会をもう一度取り戻すということです。その愚直な姿勢に僕は共感しました。