なぜスポーツエリートは大企業に就職できるのか

――すさまじい世界……。しかし、高森さんも2年目に2軍でサイクルヒットを達成すると、3年目には最多安打やビッグホープ賞を獲得。1軍の試合に初出場するなど、着実にステップアップしていました。

地獄のような毎日を過ごしてましたから。

600球くらい全力のフリーバッティングをやって、特守の後には1200球のティーバッティング。その後にランニング、ロープ登り、懸垂、ウェイトやって夕食後に夜間練習……比喩ではなく、毎日、手が血だらけになってぶっ倒れてました

そんな毎日を送っていると、3か月で高校生がプロ野球選手になるんですよ。今でも当時のコーチたちに「こんなに練習したやつを知らない」って言われます。

――しかし、努力もむなしく2012年に戦力外通告を受けてしまいます。

2010年には同じ左打者のゴウ(筒香嘉智)が入ってきたりで2軍でも出番が減ってきて……。後から考えれば、もう少しで上(1軍)に呼ばれるという立場で運用上、仕方がなかったんですが、干されてると思って完全に気持ちが切れてしまい、そこから巻き返すのはもうムリでした。

戦力外通告を受けたときを振り返る高森勇旗 (撮影/矢島泰輔)
戦力外通告を受けたときを振り返る高森勇旗 (撮影/矢島泰輔)

――球界からは戦力外となりましたが、いまやビジネスシーンの第一線で活躍中。キャリアや人格形成に、6年間のプロ野球生活はどのような影響を与えたのでしょうか?

一言で言うなら挫折を味わえたことです。「あなたを必要としていません」とあれほどわかりやすく失格の烙印を押されて、それが新聞に載って全国に晒されるみたいな経験ってふつうの会社じゃありえないじゃないですか。

そこから第二の人生が始まるわけですから、ある種、ダメな自分を受け入れないとダメですよね。

――まさに高森さんの著書『降伏論 「できない自分」を受け入れる』ですね。大手広告代理店や商社などは、大学のスポーツエリートを採用するケースが多いようです。彼らもある種、プロになれなかった挫折組ですよね。

ある程度のレベルでスポーツをやっていた人って、世の中が不条理であることを知ってるんですよ。どんなに努力をしても生まれ持ったものを埋めることはできない。いくら平等とか公平とか言われていても、現実は違う。

そんな“無能”な自分を受け入れることが社会人としての第一歩だと思うんです。元アスリートはそのあたりがベースとしてインストールされているから、企業から重宝されるのかもしれませんね。