セカンドキャリア形成に2年間の猶予が必要

「2ボールから待っていたフォークを空振りした村田修一」

「右中間にスリーベースを打った直後の新井貴浩」

「小笠原道大のスーパースロー映像」

1軍試合出場わずか2試合の元DeNA・高森勇旗は知らなくても、上記のモノマネをしていたプロ野球選手の存在なら、記憶しているファンは少なくないだろう。

その見事な形態模写とトーク力から、引退発表後はあるスポーツ新聞に「元DeNA高森 タレント転身」という見出しが躍ったこともあった。

あれから13年。高森勇旗はビジネスシーンの第一線にいた。

――現在はアナリスト、ライター、ビジネスコーチなどいろいろな活動をしている高森さん。どれがメインの肩書なんでしょう?

高森勇旗(以下、同) う~ん……どれも違和感がありますね。強いて言うなら、“元プロ野球選手”かな(笑)。

――その肩書に頼る必要もないくらいマルチにご活躍だと思いますが。

たしかに、(選手時代のことは)もはや前世の記憶です。

――現役引退後はどのようなキャリアを辿ったのですか?

引退直後は「2年間で何かひとつは形にしたい」といろいろやったんです。野球教室に始まり、パソコンが得意だったのでエンジニアとして野球のデータ解析のシステムを作ったり、アスリートのイベントディレクターもやりました。

――「2年間」という期間を決めたのはなぜですか?

セカンドキャリアに対する意思決定の猶予期間にはそのくらい必要だと思ったからです。引退して「お金を稼がなければいけない」「何もしてないと思われたくない」という気持ちがあると、体裁を守るためだけにとりあえずの仕事を決めてしまう。このような焦りがセカンドキャリア形成において最大の敵なんです。

幸い僕は共済金と車を売ったお金で700万円のキャッシュがあったので、2年間、じっくり考えながら生きることができました。

プロ野球引退後について語る高森勇旗 (撮影/矢島泰輔)
プロ野球引退後について語る高森勇旗 (撮影/矢島泰輔)
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――それと当時から今まで、ライター活動もされてます。

高校時代から僕は取材を受けて書かれる側だったんですが、自分の記事を読んで、大変僭越ながら「これなら俺のほうがうまく書けるな」って気持ちがあったんです。

特に2軍って、シビアな勝負の世界である1軍とはまた違って、いろんな感情が渦巻く悲哀だらけの世界。この世界を言語化している人が誰もいなかったから、「2軍生活が長かった自分なら書けるんじゃないか?」と思って書き始めたのが最初ですね。

――幼少期から大の読書家だったということで、正直、小説も書けるんじゃないかってレベルの文章力では。

そうですね。いつか書きたいと思ってます。