単に「戦争は嫌だ」というだけでなく、「犠牲を大きくさせたものは何だったのか?」を見ることが大切
林 「生き延びた」ということと、「生きようとしたけども死んでしまった」ということも含めて、なぜ20万人が犠牲になったのか? 確かにこれは戦争の中で亡くなっているのですが、今、日本社会においては「戦没者のおかげで今日の平和がある」とか「日本の繁栄がある」というように、「戦没者のおかげで」という言い方をします。でも、たとえば沖縄戦で亡くなった20万人は、本当に戦争や戦闘で亡くなった人ばかりなのでしょうか?
たとえば住民は、避難するためにガマ(自然の壕)の中に隠れています。そこにアメリカ軍がやって来て、外から「出てきなさい。出てくれば助ける」というふうに呼びかけるわけです。出ていけば助かるわけです。1945年当時の世界の国々を見ると、民間人がそういう状況で出ていけば保護されるのが当たり前の時代でした。だから、呼びかけに応じて出ていけば、みんな助かったわけですね。
ところが当時は兵士だけでなく、たとえ民間人でも「捕虜になってはいけない」「捕虜になるぐらいなら自決しろ」と言われていた。そのせいで、たとえばガマの中で手榴弾を爆発させて死んでしまった人が少なくありません。
あるいは、自決までしなくても、米兵の呼びかけにずっと応じず出ていかなければ、米軍はガマの中に誰がいるか分からない。もし日本兵が潜んでいると、後から出てきて自分たちが攻撃されてしまうので、ガマを一つひとつ手榴弾や爆雷、あるいはガソリンを流し込んで火をつけて、全部潰していった。それで殺されてしまった。こうして亡くなった人たちも、「戦争の犠牲者」という言い方で、ひとくくりにしていいのでしょうか?
この人たちは、「戦争」ではなくて、当時の大日本帝国――あるいは天皇制国家と言い換えてもいいと思うんですが――日本という国家によって、死を余儀なくされたわけです。決して「戦争によって死んだ」わけじゃない。そういう人々が実は膨大にいるのです。
たとえば、日本軍が首里から南部に撤退します。首里が陥落するという時点で、この沖縄戦という戦闘自体の決着は、もう誰の目にも明らかでした。日本の第32軍の司令部の者たちも皆わかっていた。そこで降伏していれば、おそらく20万人の犠牲者のうち半分以上が助かっていたでしょう。少なくとも戦闘があれほど長引かなければ……。
戦闘が長引いたせいで、たとえば山の中に逃げて食糧がなくなって餓死したり、マラリアにかかって亡くなった人もたくさんいるのです。首里で戦闘が終わっていれば、20万のうち半分以上は助かったはずです。それなのに、そのすべての犠牲者について「戦争のせいだ」と言って片付けてしまうと何も学ぶことができません。「なぜ当時の日本国家というものが、そこまでして人々に犠牲を押しつけたのか?」それを考えることが大切なのです。
これは住民の犠牲だけじゃなく、日本軍の兵士もそうです。兵士たちも、武器も弾薬も食糧もなくなったら手を挙げて降伏し、捕虜になれば命が助かったはずです。しかし日本軍ではそれが許されなかった。あれほど多くの人が犠牲になったのは、当時の日本という国家のそうした仕組み、そういう考え方に原因があるはずなんです。
ですから、戦争から学ぶというのは、単に「戦争は嫌だ」とか「戦争をやってはいけない」という感情的なものではなく、具体的にその中で「犠牲を大きくさせたものは何だったのか?」を見ることです。そして、そういう犠牲を生んだ社会の仕組みや考え方を変えて、そういうことが二度と起こらないような国の仕組みを作ることです。
今の日本は自衛隊という一つの軍事組織を持っています。自衛隊を軍隊と見るかどうかは議論がありますが、軍事力を持った組織であることは間違いない。その自衛隊が人々を本当に保護するような、守るような組織になっているのかどうか? そこをきちんと総括して、沖縄戦で起きたようなことを二度と起こさないような政治や社会の仕組みにし、行政組織も軍事組織も、そういうふうに変えていかないといけないのです。
しかし終戦後の日本は、そうしたことを全く放棄して、「戦争が悪い」ということで全部処理してしまった。これは沖縄戦だけじゃなく、戦後日本社会の戦争に対する捉え方のすべてをもう一度根本から見直さないと、現在の日本の軍事化の中で、また同じことが繰り返されてしまう恐れがあります。
生きようとしたけど生きられなかった人々の問題は、そこにもつながっていくと思います。