「国の言うことを信じていれば死ぬしかない」という沖縄戦を経験して戦後、沖縄は民衆の社会運動で傑出した地域となった

 私は『沖縄戦と民衆』以来、沖縄戦の中で生き抜いた人々、あるいは、生きようとしたけれども残念ながら亡くなった多くの人々に、すごく関心を持っています。

理由の一つは、本土からたくさんの人が沖縄に行って、たとえば、ひめゆりの平和祈念資料館や摩文仁の平和祈念資料館に行く。そこで「沖縄の人々というのは当時の軍国主義の中でそれを信じ込んでいて、かわいそうな犠牲者だったね」という感想だけで終わってしまう。本土の人々が持っている沖縄戦のイメージは、そういう受け止め方がすごく多いのです。しかし「かわいそうだったね」で終わってしまっていいんだろうか、と思うのです。

私は沖縄の中から考えているというより、東京に住んでいて、日本全体の視点から日本国家が沖縄を犠牲にしたという観点で、沖縄を外から見ているんですけども、戦後の沖縄は、実は1950年代以降、島ぐるみ闘争(*4)をはじめとする闘争や、日本への復帰運動、その後のいろんな運動を含めて、おらく日本全体の中でも人々の、民衆の社会運動として、すごく傑出した地域だと思うんです。

その沖縄の人々の主体性というか、積極的に生きようとしている力、あるいは「自分たちの社会を変えていこう、自分たちの未来を自分たちで切り開こう」という力がどこから生まれてきたのかを考えてみると、沖縄戦というのが極めて重要なのではないかと。

もともと近代の沖縄では、実は社会運動はすごく弱かったんですね。それがなぜ戦後、これだけの主体的な力を作ってきたのか? それは沖縄戦の中で「日本という国家の言うことを信じていれば、もう死ぬしかない」という状況に追い込まれた、その中で生きようとした人たちがいたからだと思うんです。

国家の言うことを信じていれば死ぬしかないけども、そこで「生きよう」という選択をして、自分たちの頭で考えて行動し、生き抜いてきた――そういう沖縄の人々の主体性を、もっと評価したい。むしろ本土の人間こそ、この沖縄の人々の自立した考え方や行動から、もっと学ぶべきだ、という思いが私にはあって。

いろいろな人々の体験記をずっと読んできて、どうやってその人々が生き延びたかを見ていくと、自分たちで考えて、選択をした。たとえば、「捕虜にならずに自決しろ」と言われていたけれど、みんなで米軍に投降するとか、主体的に「生きる」ことを選択してきた。もちろんその陰には、生きようとしながらも、生きられなかった人もたくさんいたのですが……。

1945年4月、海兵隊に収容される民間人。沖縄県公文書館 蔵
1945年4月、海兵隊に収容される民間人。沖縄県公文書館 蔵

生き抜いた人々の生き方からもっと学ぶことができるんじゃないか、学びたい、という、そういう思いでこの本を書いたんです。そして逆に、「生きようとした人々、生きたいと思った人々をなぜ死に追いやってしまったのか? なぜ殺してしまったのか? そうさせたのは何だったのか?」ということをやっぱり突き詰めたい、と。「なぜ20万人が犠牲になったのか」と今回の本のサブタイトルにも付けましたが、そこをきちんと明らかにし、そこから学ぶ必要があるという思いで、生きようとした人々のことをかなり詳しく取り上げました。

*4:1956年、アメリカ施政権下の沖縄で起きた、軍用地をめぐる市民の大規模闘争。54年に米側が軍用地料を10年分一括で払うと提示したが、これを「土地の買い上げ」と見た住民は反発し、方針撤回を求めた。だが米側は土地の強制収用を開始し、住民の抵抗が激化。56年6月、米軍による軍用地政策をほぼ是認する米議会の勧告が出されると沖縄各地で反対集会が開かれ、日本復帰運動とも相まって激化、同年夏の「島ぐるみ闘争」に発展した。

川満 本当にそうなんですよね。私は15年ほど名護市の教育委員会で沖縄戦の『市史』を作るために編集作業と調査をやっていました。その中で体験者の話を非常に多く聞かせてもらい、学ばせてもらいました。その体験者は、生きているからこそ語れるわけですが、生きている人たちのまわりでも、親戚とか地縁の方がたくさん亡くなっていらっしゃる。

だから、生きている人たちから「亡くなった人たちがどういう人たちだったのか」を聞くことも非常に大切だと思って、必ず聞こうとしてきました。つまり、平和の礎(*5)に名前を刻まれている人たちが実際に生きていたんだということを、どうやって今の人たちに伝えることができるのかを意識してやってきました。

ただ、「生き残った人は、なぜ生き残れたのか?」という視点が、私自身には足りなかったと思います。林先生のこの本を読んだり、『沖縄戦と民衆』を読み返したりして、あらためてまた目が開けた感じがあります。

生き延びた人たちがなぜ生き延びることができたのかを考えることは、今につながっていくんです。「これから戦争をしないためには、どうするべきなのか?」というところで、非常に大きな教訓になる。

これから、戦争を体験した人たちは少なくなっていくでしょうが、生き残った人たちが体験について書いたり、私たちも聞き取りをさせてもらっていますので、なぜ彼らが生き残れたのか、どういうふうに生活していたのかということは、何度でも振り返ったほうがいいと思います。

*5: へいわのいしじ。国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ祈念碑。1995年に建てられた。