日本全土が沖縄戦のような戦場になる可能性がある
林 ありがとうございます。沖縄戦の研究に関しては、まず沖縄の研究者の方たちがリードしてきて、その成果が1980年代、90年代に出ました。軍の視点からでなく沖縄の住民の視点から、住民の犠牲の実相を非常に詳細に明らかにされる仕事が出てきた。それで「沖縄戦って、こういうものだったのか」というのが明らかにされてきました。
ただその後も、さらに調査や研究が進んでいます。それを私は川満さんに先ほど紹介いただいた『沖縄戦と民衆』などで書いてきたんですが、あの本は2001年刊行で、もう24年前になる。この間、「沖縄県史」の沖縄戦編が発表されたり、様々な成果が出てきています。
にもかかわらず、それら新しい調査や研究を反映して「沖縄戦とはこういうものなんだ」とわかりやすく読めるような本が全くなかった。そのため、いろんな人と話をしていても、沖縄戦がかつての古いままのイメージで語られている、と感じることがありました。そこで、ぜひ一冊、そういう新しい成果をまとめたものを、できるだけ多くの人に読めるような形で出したかった。
それと同時に、沖縄戦がもう本当に過去のものであればいいけれど、先ほど川満さんも言われたように、この間の米軍や自衛隊、日本政府、日本社会全体の動きを見ていると、沖縄だけでなく、日本全土をもう一度戦場にすることを想定したことがどんどん行われてきています。
これはもう沖縄だけの問題じゃなく日本全体に関わる問題なのです。すると「沖縄戦から何を学ぶのか?」ということが極めて重要になるのですが、そこが全然、論及されていません。しかし沖縄戦のような悲惨なことを二度と繰り返さないためには、沖縄戦からもう一度学び直す必要がある。これは現在の日本の状況から見て、極めて重要な課題だと思います。
特に、沖縄戦の中で住民が多く犠牲にされた一つの要因が、「軍民一体」あるいは「軍民が混在している」という状況の中で、住民を保護することが全く行われないまま戦闘が行われた。そこの教訓というのはすごく大きいはずですが、それは今、全然顧みられていません。
普通の民間の人々が住んでいるところのすぐ近くに、自衛隊が新たに基地を配備していく。現在の日本では、もうすでに自衛隊基地や米軍基地と民間の地域が隣接、混在している。こういう状況で戦争があったらどうなるのか? 沖縄戦というのは、まさにそういう戦いだった。その意味でも、沖縄戦から何を学ぶのかが緊急の課題なのです。そういうこともあって、沖縄戦についてできるだけ多くの人に読んでもらえるような本を、ともかく早く書かないといけない、と思った次第です。
川満 本書のポイントとしては、まずは林先生の広い角度のある書き方です。こういう書き方は、私たち歴史学的に沖縄戦を追求してきた人には、実はなかなかできない、というのが率直なところです。私たちは「住民対日本軍」とか「官の役割」とかいうことで「戦争責任がみんなある」ということをよくやっていたんですが、林先生の場合、タイトルで言えば、「死を拒否した人々」、「生きることを選んだ民間人」や「助かった人たち」とか「生きようとした防衛隊員」などのように、これまで書かれてきたものから抜け落ちていたものをきれいにグルーピングして、「なぜ彼らは助かったのか」というところなどをきちんと取り上げているんです。
まさしく沖縄戦の全体像を表すようなグルーピングの仕方で、これに私は「ああ、そうなんだよな」と思いました。本書を通して、こうした側面に自分の思考がこれまでなかなか及ばなかった、という非常に反省するべき点が明らかになりました。
私は一つのことを追求すると、そこにずっと焦点を当てしてしまいがちなのです。たとえば日本軍の起こした住民虐殺の理由として、「住民たちが陣地構築などに動員されて軍事機密を知っていたので、住民の口からそれが米軍に漏れることを危惧していたからだ」という議論がある。しかし林先生は、「背景には、それが確かにあるかもしれないけれど、それだけではないだろう」ということを明確に書かれています。本当にそのとおりです。
私自身はいろんなものに書く際に、それをあまりにも強調し過ぎていたな、と大きく反省しています。頭の中には「それだけじゃない」というのがあるんですが、書く際に、どうしてもそこを強調し過ぎて……。林先生のそういった書き方を読んで、これから私たち、特に私は、「もう一回ちゃんと見据えて物を表現しないといけないな」と反省しています。