鈴木 「気持ちいい」というのは僕もよくわかりますよ。クロマツさんの画は身体のどこに力が入り、その力がボールやバットにどう伝わっているかが、リアルに伝わってくるんです。これは野球に限らずあらゆるスポーツ漫画に言えるんですけど、「この動き、ちょっと違うな」と感じてしまう画、ありますからね。クロマツさんの場合はそういう違和感がまったくない。
クロマツ いやあ、うれしいです。基本的にはオーバーに描くのが漫画の基本なんですけど、ひとつこだわりを挙げるとすれば、インパクトの瞬間にボールを極端な楕円にひしゃげて描くことは僕はやらないんです。硬球は絶対そうならないので(笑)。
早見 そうですね(笑)。ちなみにクロマツさんは高校野球を経験されていますけど、今、野球とはどういう向き合い方をしていますか?
クロマツ 僕は今振り返ってみても野球への取り組みがすごく甘かったので、嫌いになるところまで頑張らなかったのがよかったように感じています。
早見 そのスタンス、作品から伝わってきます。野球への肯定が心地よいというか。実はさっきクロマツさんのプロフィールを拝見したら、奈良県の聞いたことのない学校の野球部に所属していたことが書かれていて、なんかいいなと思ったんです。これはマウントを取ろうとしているわけじゃなくて(笑)、そういう無名校で楽しく野球をやっていたという、この競技との距離感が作風に表れている気がしたんですよ。
クロマツ そうですかね?(笑) 一方、当時はちょっと世の中を舐めた高校生だったんですけど、監督にさんざんシバかれて根性を叩き直してもらったところがあって。その意味では野球に更生させてもらったという感謝もあります。もっとも、その監督は数年後に体罰でクビになるというオチもつくんですが。
早見 僕は逆に、もし高校野球部時代の監督が完璧な人格者だったら、小説家にはなっていなかったと思います。監督を心から尊敬できていたら、こんなに社会を斜めに見る大人にならず、今頃、「野球に恩返しがしたい」みたいなことを言っていたかもしれません。
鈴木 そういえば『アルプス席の母』にも、ちょっとヤバい感じの指導者が登場しますね(笑)。当時の鬱憤みたいなものが、作家性の芽生えにつながっているのでしょうか。
早見 そうそう、あれも完全に僕の原体験から来たものですよ。
鈴木 逆に僕のまわりには、「野球に恩返しがしたい」的な人がすごく多いんですよ。というか、野球担当の記者とはそういう人がなるものなのかもしれませんが。
早見 でも、そういう人が書く野球の話って、たいてい面白くなくないですか?
クロマツ ちょっとわかる気もしますが(笑)。
鈴木 一冊の長編を書こうとする場合、野球が好きで、だから野球界を良くしたいという視点だけだと、どうしても表面をなぞるだけになりがちなんですよね。
早見 鈴木さんの場合は、自分の手に負えないバケモノに興味を示されて、その正体を暴きにいっている。だから野球が好きよりも、たぶん野球界にいるバケモノが好きなんじゃないかと思っているんですが、そんなことないですか?
鈴木 僕はどっちかというと、目の前にあるルールや価値観に従っちゃうタイプで、そんな自分が嫌でした。そんな時に現れたのが、落合さんでした。だから、すごいスカッとしたんです。「ああ、なんか本当のことを言う人が現れた」みたいな。クロマツさんの漫画に出てくる、郷原もそうだと思うんです。