なぜ野球はサッカーよりも文章との親和性が高いのか
早見 鈴木さんは、野球のご経験は?
鈴木 まったくありません。僕はもともとサッカーのワールドカップを取材したくてスポーツ新聞に入ったんですけど、入社から一六年間ずっと野球担当でした。だから最初はまったくやる気がなかったんですよ。

早見 確かに『嫌われた監督』の中でも、初期のやる気がない様子が描かれていますね。でもその理由は触れられていなかったので、初めてその真相を知った気分です。
鈴木 最初はルールもほとんど知らなくて、たくさん恥をかきました。
早見 文章との親和性でいうと、サッカーより野球のほうが圧倒的に高い気がします。僕が読んできた中では、出色だったのは金子達仁さんの『28年目のハーフタイム』(文春文庫)くらいしか思い当たらなくて。
鈴木 そうですね。確かに野球と比べてサッカーのノンフィクションは作品数も、話題になった作品も少ないのは事実だと思います。
クロマツ それは何が違うんですかね。
鈴木 自分がずっと思っているのは、野球には“間”があって、一球投げるごとの合間や攻守交代の合間に心理描写ができるということです。これはスポーツ・ノンフィクションとしてはすごく書きやすいんです。
早見 なるほど、分断しているからシーンとして表現しやすいわけだ。
鈴木 ピンチなのか、それともチャンスなのか、状況ごとに書き分けられますからね。それに対してサッカーは、少なくとも試合中は場面がずっと流れているし、大勢の出演者が一つのシーンに流れ込んできます。金子さんが成功したのは、ハーフタイムという“間”にスポットを当てたからではないかと個人的に思っています。
早見 たとえば、「三笘の一ミリ」(※)を題材にするとしても、六ページの記事なら成立するけど、一冊でやるのは難しい、と。
鈴木 そのワンシーンだけだと、そうかもしれません。今でもサッカーを書きたい気持ちはあるのですが、そういった事情を踏まえていくと、どうしても野球のほうに行ってしまうんですよね。もしサッカーで何か書くなら、早見さんの『アルプス席の母』くらい思い切ったテーマ設定が必要だと思います。
早見 そう考えると、クロマツさんは一試合も描かなくても物語を成立させられそうな作風ですよね。「投げた」「打った」を排除しても、ベンチやスタンドを舞台に十分楽しませてもらえる気がします。
クロマツ ありがとうございます。でも漫画の場合、やっぱり視覚的な要素が大きいので、編集者からどうしても試合のシーンを欲しがられるんですよ。『ドラフトキング』ではオッサンが飲んで話しているだけのシーンも多いんですけど(笑)、それで野球漫画として読者を納得させるのは、実は無理がありまして(笑)。
鈴木 確かにそうでしょうね(笑)。
クロマツ だからこそ逆に、「試合を描けば面白いに決まってるやん」という気持ちもあって。あえて難しい方向から野球好きを納得させるチャレンジというのは、僕自身も好きなんです。
早見 でもクロマツさんの野球シーンって、描き方が気持ちいいですよね。スコンと打って抜けてる感じとか、腕を思い切りちゃんと振って投げているところとか。これはクロマツさん自身が野球経験者であるだけでなく、きっと運動神経のいい人なんだろうなと感じます。
クロマツ さすがというか、なんかすごい見方ですね(笑)。これまでいただいたことのないタイプの感想です。