「平野紗季子という事件」
そこにおけるナポリタンは、「劣った偽物」でもなければ「賞賛しなければならないノスタルジー」でもありません。彼女にとっては単に「嫌いなもの」「距離を置きたいもの」、それ以上でもそれ以下でもありません。
ある種の徹底した個人主義です。その徹底ぶりは、パスタのみならず、この本で取り上げられているあらゆる食べ物に関して貫かれています。
それは文化の相対化とも言い換えられるでしょう。従来のグルメ的文脈で語られ続けてきた「上流/下流」のランク付けも、一世を風靡した食マンガ『美味しんぼ』における「本物/偽物」のイデオロギーも、一瞬で無効化してしまうかのようなクリティカルな一撃。
そういった一世代前の価値観に、がっつり影響されつつもどこかで辟易としていた我々が一斉に快哉を叫んだのが「平野紗季子という事件」でした。
そしてまたそれは、東海林さだおさんや椎名誠さんのような、「上流」や「本物」に対するアンチテーゼたるパンクスピリットとも無縁です。
とにかく自身が経験してきたあらゆる食べ物を、権威も反骨も関係なく自分がどれだけ愛せるかだけを基準に選別した、さしずめ「食べるセレクトショップ」といったところでしょうか。そこには、そのセンスや美意識に共鳴した人々が集います。