「コーヒーを飲むくらいの気軽な気持ちで来てもらおう」
13日、静岡・菊川市にある本店の近所の住民は、なじみの「洋食屋さん」をつくった富田さんの訃報を自分の家族史と合わせて振り返った。
「今40代の息子たちにとっては小さいときから『さわやか』にハンバーグを食べに行くのがご褒美でした。子どもの誕生日に行くとポラロイドカメラで撮影して写真を手渡してくれたり。温かいお店でした」(近所の60代女性)
「おいしいだけでなく、地域を大切にしていたのが印象的でした。店の改装工事の際にも、騒音を出すお詫びにと、新装オープンの前日にお店に招待してくれたり。富田さんとは面識はありませんが、経営方針なのか、地域を気遣っていただけたのはうれしいことでしたね」(近所の50代女性)
Xには静岡県民が次々と「地元の誇り」をつくった富田さんを悼むコメントをあげた。
「愛してやまないさわやかハンバーグ。生み出してくれてありがとうございます」
「静岡県民、げんこつハンバーグが大好きです」
1937年に浜松市で生まれた富田さんは、サラリーマン生活を経て40歳だった1977年7月に小笠郡菊川町(現菊川市)に「コーヒーショップさわやか」を出店し、飲食業への道を踏み出した。だが、それは単純な脱サラではなかった。
「会長は26歳から10年ほど結核で闘病した経験があります。隔離を伴う孤独な闘病の中で、自然から空気や水といった無償の恵みを与えられていることに気づいて感動し、元気になったら自然の恵みを生かして、食べた人が元気になるようなものをつくりたいと考えるようになったそうです」(会社広報)。
元気になる食材と言えば牛肉。これを100%使い、炭火で焼いたハンバーグが当時からの主力商品だった。
「ステーキは高級品ですがハンバーグなら家族で気軽に食べられる、と考えたようです。店名は『コーヒーショップさわやか』でしたが、最初からファミリーレストランで、『コーヒーを飲むくらいの気軽な気持ちで来てもらおうと名づけた』と会長が話していたことがあります。料理人ではなかった会長は常に“食べる側”からの目線でお店をつくっていましたね」(同社広報)
富田さん自身も生前「自然に学びながら、感謝の心を形にして提供することで、まわりの多くのお客様とつながり、共生していくことのできる飲食の仕事を選んだのです」と経営の哲学を話していた。