欧米と日本の働き方の一番大きな違い
さらに、会社にとっての「静かな退職」の効用を述べています。実は、経営改善の一環としても、「静かな退職」は重要だという驚くべき視点を添えています。
最後に、日本国として「静かな退職」をどのように考えるべきかに焦点を当てています。それは、生産性指標の改善のみならず、少子高齢化や男女共同参画といった政府が直面する課題に著効をもたらすからです。
欧米(というと欧と米でも働き方は異なるし、欧の中でも様々だと言われそうですが、それでもあえてこういう括りとします)と日本の働き方の一番大きな違いは何でしょうか?
私は雇用の世界に40年近く身を置くジャーナリストとして、こうした現状を綴っています。
日本の、とりわけ「大卒正社員」は、原則、幹部候補と言われ、誰でも課長以上に昇進するチャンスが与えられた存在であり、実際、管理職になれる割合がかつては高かった。言うなれば「誰でもエリートを夢見られる」働き方をしていました。
一方、欧米の場合、エリート層とそうではない大多数は厳格に分かれています。欧州大陸諸国であれば、職業資格(向こうでは多くの仕事・職階に就くために公的資格が必要)と学歴で昇進上限が決まり、自分の将来が早期に見えてしまうのです。アメリカではそこまで公的な区別はありませんが、それでもやはり、上級マネジャー以上に昇進する人は選抜され、また、学歴的にもMBAや博士号の保持者などが多数を占めるようになります。
つまり、「大卒で入社した瞬間、誰でも幹部候補で横一線に並んで、30代半ばから後半まで同じ土俵にいられる」という社会ではありません。だからこそ、彼らは見えている将来に従って、バリバリ働く人と、そうではない人に分かれ、後者には「静かな退職」が浸透したのでしょう(逆に言うと彼らはそれが当たり前の働き方だと思っているが故に、「静かな退職なんて呼ぶな!」という意識も強く持っています)。
日本は、「誰でもエリート」で「将来、部長や役員になれる可能性がある」というニンジンを餌に、「忙しい毎日」を促され続けてきました。それが昨今壊れ、世界標準に近づいたということでしょう。
昭和→平成→令和という時代の流れの中で、社会は大きく変わってきました。そろそろ、日本人も頭の中を一変させましょう。この「静かな退職」こそ、当たり前の働き方であり、本人・周囲・上司・会社もそれを認知する時が来ています。
文/海老原嗣生 写真/shutterstock