代表デビュー時からの目標達成へ続けたあくなき挑戦

鳥海はその後、すっかり日本代表に欠かすことのできない一人となり、勝敗を決定付ける大事な役割を担うようになっていった。しかし、彼自身は自分に納得していなかった。

代表デビューの当時から掲げてきた目標が、一向に達成されていなかったからだ。その目標とは“スタメン出場”だった。それこそが鳥海が理想とする日本代表での自分の姿であり、矜持でもあった。

その目標達成のためには、ゲームをつくるうえで絶対に欠かすことのできない存在になることが必要だと考えていた。そのためリオパラリンピック以降、少しずつ変えてきたことがあった。車いすの高さだ。東京パラリンピックまでの5年間で上げたトータルの高さは実に20センチほどにもなっていた。

だが、それは決して簡単な選択ではなかったはずだ。1センチ違うだけで操作性がまったく変わるうえに、重心が高くなることで体のバランスを取ることが難しくなるという、スピードやクイックネスが最大の持ち味である鳥海にとっては多くのリスクを伴うものだったからだ。

そのためこの試みに対して心配する声は少なくなく、周囲からは「やめた方がいいのでは」と何度も助言を受けたという。

[2021年東京2020パラリンピック] 東京パラリンピックでの活躍は5年間の努力と挑戦の賜物だった。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
[2021年東京2020パラリンピック] 東京パラリンピックでの活躍は5年間の努力と挑戦の賜物だった。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

それでも鳥海に迷いはなかった。サイズのない日本においてミドルポインターである自分が海外勢と空中戦を争うことのできる高さを持つことは、日本が勝つためにも、そして何よりチーム内での自身の存在価値を高めるためにも絶対に必要だと考えていたからだ。

だからこそ「誰よりもしてきたという自信がある」と語るほど必死でトレーニングに励んだ。

こうして5年の歳月をかけた努力が、2021年夏、ついに実を結び、大きな花を咲かせたーー。

(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
すべての画像を見る

写真/X-1 長田洋平/アフロスポーツ ・文/斎藤寿子