海外進出、知られざる試行錯誤
48歳にしてインスタントラーメンの開発にこぎつけた百福。
当初は問屋から「こんなけったいなもの、どないもなりません」と怪訝な顔で対応をされたこともあります。今まで見たこともない商品ですから、無理もありません。
しかし、消費者の人気に後押しされると、やがて注文が殺到します。社員はたちまち800人を超え、「サンシー殖産」から「日清食品」へと社名を変えました。
50代を目前にして大きな仕事を成し遂げたのだから、しばらくはゆっくりして、また次の一手を考えるか……。そう考えてもおかしくはありません。しかし、百福は違いました。
なにしろ、一度はどん底を経験した身です。苦労したこれまでの日々が百福をさらなる行動へと駆り立てます。
販路を拡大するべく、百福はこんなふうに考えました。
「これだけ国内でヒットしたものが、海外で受け入れられないはずがない」
国内で他社の類似品が出はじめたこともあり、いち早く国外に目を向けたのです。とはいえ、単純に海外へと販路を拡大できるわけではありません。なにしろ、西洋人はどんぶりと箸で食事をしません。このハードルを越えるには、商品そのものを見直す必要がありました。
考えていても仕方がないと、すぐに行動する百福らしく動きはじめます。現地に飛び、アメリカやヨーロッパを視察しながら、なんとか解決の糸口を探りました。56歳のときのことです。
滞在中、アメリカ西海岸にあるスーパーを訪れたときのこと。百福がいつものように、インスタントラーメンの調理を実演しようとしましたが、やはりどんぶりがありませんでした。
すると「代わりになるものを」と、スーパーの人が紙コップを持ってきてくれました。そこにチキンラーメンを2つ、3つに折って入れてみたところ、その味は大評判となります。
その場ですぐさま販売契約が結ばれました。しかし、百福は商談がまとまった喜びよりも、まったく違うことに気をとられていました。
「紙コップにはこういう使い方があるのか。新しい即席めんは、紙コップのような容器に入れてみてはどうだろう」
ここから、またもや百福の研究の日々が始まったのです。