どの組織にもいる話の通じない人

同レジデンスの竣工は1974年。地上10階建て、300戸の大型マンション。穏やかだったその様相が一変したのは約30年前だった。管理組合の理事長に吉野(仮名)が就任したことが契機となる。

吉野理事長が就任当時は特にトラブルの声は聞こえてこなかった。しかし、20年ほど前に排水管工事が実施されるというアナウンスがあったが、工事業者はすでに指定されており、見積もりをとったのも1社のみだった。それに意義を唱えた住民たちも多く、不信感が強まっていった。

反・管理組合として「友の会」という団体の活動が始まった。その甲斐もあり、結果的に工事費は当初の予定だった金額から半額以下となったが、吉野理事長のどこか不満そうな表情がそこにはあったという。

大規模修繕の事案が落ち着くと「友の会」の活動は減少していったが、活動に加わった人たちがマンションの中で理事会メンバーに会うと嫌味を言われたり、変な噂を流されるなどのいやがらせを受けるようになっていった。そんな風にして管理組合による独裁体制はゆっくりと進行していった。

マンション入り口に設置された厳禁事項だが、現在ではごく普通の内容に落ち着いている
マンション入り口に設置された厳禁事項だが、現在ではごく普通の内容に落ち着いている

実際に取材した栗田さんに理事長はどんな人物なのか聞いてみた。

「管理への執着を除けば、理事長は特別おかしな人とは感じませんでした。例えば、世襲の中小企業のワンマン社長さんや、地方議員さんなどに近い印象です。思い込みが激しく、なかなか話が通じないというような。

ただ、エネルギーはすごくある人ですね。あそこまで厳格に管理をするというのは面倒ですし、普通の人にはなかなかできない。そもそも管理組合とか役員って回ってきたらやりたくない人が多いじゃないですか。そこに関心を持ちました。

じゃあ彼は理事長をやることで、大きな恩恵を受けていたかというと僕はあまりなかったのではないか、と思っています。

本書では、吉野理事長のような人とそれに従う人って、それこそあなたの周りにもいませんか、というメッセージも込めています。どこか日本社会の縮図を感じる取材でもありました」