1300年前に建った法隆寺
手間と時間をかけない機械任せの便利な社会は、生き物を生き物として扱わない社会でもある。
「私らが相手にするのは檜(ひのき)です。木は人間と同じで一本ずつが全部違うんです。それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるんです。これは法隆寺が立派に証明してくれています*2」
西岡は、宮大工と大工の一番の違いは、心構えにあると言う。大きな建物、ましてや仏様が入る伽藍(がらん)を建てることの心構え、樹齢1000年の木の偉大さや尊さを知っている職人ならではの心構えがある。
1000年は生きる建物を造れますように。今度は伽藍(がらん)の一部としてこの木が命をまっとうできますように。自分の精一杯の仕事ができますように*3。
生命を相手にするのだから「絶対」はあり得ない。力を尽くし、祈るだけ。それ以外、何ができよう。
最先端のテクノロジーを駆使しても、1300年以上前の飛鳥時代の職人たちが造った法隆寺を超えることはとうていできない、と西岡は断言する。
それは、古代建築を扱ってきた職人に受け継がれてきた技や知恵は、彼らだけの「手の記憶*4」だからだ。それは数値では表せず、言葉にすらできない。コンピューターに教え込む術(すべ)がないのだ。
西岡は断言する。職人の仕事は機械やコンピューターでは代われない。